「いつ敵を倒すのですか?」
気持ちは分かるが、成立当時スタイルの八卦掌(以下「清朝末式八卦掌」と呼ぶ)の戦闘法を深く理解してない状態の質問である。
しかし大変よい質問だと言える。中核に触れる、そして中核を理解するきっかけとなる質問だからだ。
このような疑問を師に尋ねることは大変素晴らしい。その疑問に師匠が実演付きで答えることで、疑問に対する答えが明確にされ、深い理解を得られる。自分で考えた末の質問である。どんどん師に質問するとよい。
質問に答える。さんざん練習している「単換掌」で倒すのではない。八卦掌は、「倒す」よりも「倒されない」を目指す拳法である。その拳法が最重要と位置付けている技である。その技が「倒す」ためのものでないことはおのずと理解できよう。
後退スライドは「斜め後方スライド撤退戦」である。「撤退戦」というフレーズは何気なく使っているのではない。古来より、戦争における撤退戦において敵を倒すことはなかった。
味方の犠牲を最小限に食い止め本隊を被害なく本国へ撤退させるために、しんがり部隊が「追撃してくる敵の足(進軍)を止める」ことが目的だったのだ。撤退戦を扱った講談などでは、一矢報いたことだけがクローズアップされ誇張されるが(例えば三国志演技における蜀軍撤退の際の『死せる孔明生ける仲達を走らす』など)、撤退する者が圧倒的不利な状況からかろうじて逃げた状態だったケースがほとんどだったのである。
単換掌はまさにそれを実行する技法なのである。
対多人数移動遊撃戦は、まさに絶体絶命のピンチの戦いなのである。八卦掌は対多人数専用の拳法である。専用の拳法、と書くと、八卦掌の術理をマスターすれば、いとも簡単に多人数相手に戦うことができるようになる、と思いがちであるが、そうではない。「八卦掌の術理をマスターすれば、「対多人数戦の絶対的不利の中から生還できる可能性が生じる」だけなのである。
私は今でも、弟子らに多人数戦の戦い方を実演する際、大変緊張する。息も上がる。決して「楽々」ではないのだ。かろうじてかわしている状態なのである。自分の身体を移動遊撃戦渦中における複数敵の絶え間ない猛接近からやり過ごし続ける必要がある。その、不確定で急速対応の必要にあふれた世界が、どれほど過酷か想像すればわかる。
敵が3人以上となると、敵のアタックは次から次へと、息つく間もなく到達する。その過酷な戦況に対抗する手段として、ひたすら前に向かって、高い移動推進状態を保って移動し続ける「勢(せい)」の維持による対処法が考えられる。
前に移動し続けないと、後ろの敵に捕捉される。周りの敵に詰められ、捕まれる。前敵に速度を伴った電撃戦が実行できない。いいことがないのだ。
勢を維持するためには、スピードが落ちる可能性が最も高い、斜め後ろから接近してくる敵をやり過ごす瞬間「斜め後方スライド」時を克服することが最大の課題となる。
翻身旋理(ほんしんせんり)による切れある後方スライド技術、刀裏背走理(とうりはいそうり)による、自分の手や武器などを自分の身体軸に近付けて引っ張り身体移動時のブレを無くす方法は、この課題を克服するためのものだ。つまりこれらの術理は、スピードを落とさないために創始者が考え抜いた術理なのである。
この術理を実行するならば、敵猛追の都度「受けて攻撃をして倒す」という近代格闘術八卦掌が用いる攻防方法はできない。
する必要もなくなったからだ。近代格闘術八卦掌は対多人数移動遊撃戦ではなくなった。人を「倒す」ことに焦点をあてた。倒すならば、軸を作って大きな力を発揮し、戦闘不能にする必要がある。軸を作って打つ=その場にとどまる、ということだ。
近代格闘術八卦掌が移動遊撃戦という前提を離れた瞬間、強者使用前提の動きが加速し、両者は別物の拳法となった。
私に八卦掌を対面で教えてくれた若き中国人就労生の楊先生(八卦掌を「八卦転掌」と呼び、単換刀を教えてくれた青年先生)は、明確に、昔日と近代の違いを意識した指導をしていた。
連身牌法は、楊家のオリジナルであろう。しかしその動きは、八卦掌主要刀術の動きそのもの。虎衣藤牌兵舞踏を練習していた楊家では、それが八卦掌と融合するのは自然なこと。虎衣藤牌兵舞踏は、後退スライドではないが、楊家の代々の人たちは、昔日の転掌術理に、あえて合わせた。そこで連身牌法が生まれたと思われる。
手を出したならば後退スライドによって身体を操作し、身体の操作によって出した手を引っ張り身体軸に近付けてから、(肩が入ると同時に)スッと穿掌を突き出し、相手を驚かせ、その敵の足を止めるのである。まさに『けん制攻撃』である。
身体はけん制穿掌を放つ際、肩を入れて次なる場所へ移動する段階に入っているため、この攻撃の成否は分からないのだ。肩を入れて次なる場所へ・・・は、攻防における「防御」そのものなのである。
長くなったが、斜め後方スライド時、いかに倒すつもりで打ってないかが分かっただろう。「倒す」つもりで向かっても、ほとんど倒すことはできない。攻撃はなかなか当たらないもの。そこで割り切って、単換掌の術理は「けん制」に徹した。
そこで、単換掌で後退スライドし、振り向いた際、その場所で居着いている敵に電撃攻撃をしかける。不意を突かれた敵のほとんどは、その場から移動できず、攻撃を喰らうのである。
上の動画は、振り向き様のけん制攻撃の練習である。あえて敵を大きな動きでさばいた動作を繰り返し身体を振り、その中で確実に(頸部)急所を打ち抜くための練習法である。
よく見て欲しい。動かない的を打っている、などと、うんざりするような批判をする前に、練習の意義を考えろ。翻身拍打から遊歩一穿の攻撃を演じているが、その激しい展開攻撃においても、指先第一関節部分までで攻撃しているのがわかる。
極力遠い間合いで、通り抜けながら、斜め後ろ打ちをしているのだ。前敵攻撃に生じるリスクを最小限にした、「前敵スライド回避攻撃対敵身法(順勢掌の術理・順勢掌理)」である。
※楊家では、順勢掌のことを、「円勢掌」もしくは「勢掌」と呼んでいた。単換掌・拗進転掌(陰陽魚掌に該当)・勢掌の3つを原初最重要技、単換刀を、八卦転掌の源泉として指導してくれた。
敢えて「倒す」方法と段階を説明するならば、この順勢掌の術理である前敵スライド回避攻撃で倒す以外ないと考えられる。
よって皆には、もっともっと単招式を練習してほしいのだ。やりたがらない人も多い。単換掌と単換刀の陰に隠れるのもある。
しかし私は、上の動画のような練習を通して、今でも毎日、何回も何回も、前敵スライド回避攻撃を練習している。
単招式をもっともっと練習しよう。敵の脅威であり続けよ。そうすることで、敵は大切な人に手を出すことができなくなる。八卦転掌本来の姿、護衛武術に引き上げるならば、単招式は大変重要なのだ。