八卦掌水式門(以下「弊門」)に、「遠隔地生科」がある。
愛知から遠く離れた県に在住の方でも、弊門で指導する清朝末式八卦掌を始められるように設置した科である。
遠隔地生科は、護身術の通信講座だと思っている人が多いが、そうではない。そのため、遠隔地生科に仮入門制が採用されていることを知ると、「護身術講座なのになんで気軽さがないの?」と疑問をぶつけてくる。
このことは、あらゆる場面で触れる重要なことである。弊門で指導する八卦掌は、弱者使用前提の「弱者護身武術」的性質もあるが、実は、成立当時のままの技法を貫き伝える「護衛武術」なのだ。護衛武術であるゆえ、その内容に平和的要素がない。日本国内で見られる、他者の生命に配慮した「日本式護身術」ではない。その姿勢に欠ける「中国式護衛護身術」なのである。
参考までに触れておく。中国式護身術には、日本武道に見られる「相手を傷つけない」とか「自他共栄」のような、自制の理が存在しない。
後退スライド技法が中核ゆえ、敵を傷つけない武術、などと思い違いをしている人が多い。後退スライドは、力の強い者に負けないための技法であり、逃げているわけでない。後方へ移動しながら防御しつつ、人体急所打って、殺傷したり戦闘不能にすることを躊躇なく実行する。
話を戻す。八卦掌の護衛の仕方は、こうだ。自分が力の弱い弱者であるから、他の武術のような「敵を全員倒して護衛」することはできない。
弱者であるから、縦横無尽に移動しまくって翻弄しつつ敵を引きつけ、引きつけの渦中で突然奇襲攻撃をして敵を我に集中させ、護衛する。つまり、囮(おとり)になる。
囮になっている間に、味方が来ることを期待する。囮である以上、危険を伴う。しかし使い手の生存より、あくまで皇族などの守るべき人間の命の方が重要だったのである。昔日の宦官(かんがん)が使った拳法らしい。宦官の身分は低く、ともすれば蔑視対象でもあったゆえ、命は顧みられないのである。
清朝時代は、征服を果たした支配階級民族たる満州族の皇族と、漢民族などのその他の庶民では、命の重さに明確な違いがあった。厳しい身分制度が存在していた時代だったがゆえの、悲愴感に満ちた護衛護身拳法なのである。
囮といえども、すぐに倒されてしまっては、当然護衛を果たすことができない。そのため、一定時間敵に捕まらずに攻防し続ける技法で貫かれている。この「囮として一定時間敵をさばきつづけるための技法」があるゆえ、現在の身分制のない日本で、護身術としての価値を放つのである。
清朝末式八卦掌を指導するにあたり、「護身を果たすためには敵の命を奪うことも辞さない」技法を外すことはできない。清朝末式八卦掌もしょせん中国拳法の一つであり、人を殺傷する技法であるのは変わらないからだ。
中国は、異民族に征服された過酷な歴史を繰り返した。例え自分が正義であっても、力によって征服されれば、身の周りの大切な人や善人が、平然と虐殺された残酷な歴史を何度も何度も経験している。その過酷な経験の中で、思いやり要素が強い武術が成立するはずがない。
弊門指導の清朝末式八卦掌は、「後退スライド」要素により平和的でマイルドな印象を持たれやすいが、そのようなことはない。武器術では、遠い間合いから敵の末端を斬り失血死させることを目指す技法理念があったり、重い武器を身体で扱って敵にぶつけて殺傷を目指す技法理念が存在する。
そのような殺伐とした技法を、通信講座で、面識もない人間に指導するはずがない。これは、技法ノウハウを出し惜しみしているのではなく、殺傷技法を伴う技法を指導する団体としての、社会的・道義的責任なのである。
八卦掌が成立した当時の中国は、太平天国の争乱のため国内各地で、反乱軍や清朝正規軍によって、庶民に対する非道な暴力が加えられていた(乱により命を落とした人数は、2000万人ともいわれる)。賊や野盗だけが脅威だったのではない。いつ何時、どの集団が、自分や家族の命を奪いに来るかわからない時代である。その渦中で成立した護衛護身術である。他者に対する遠慮がない技法理念で染まっているのは当然である。清朝末式八卦掌の骨の髄までしみ込んだ遠慮無用の理念を、外して指導することはできないのは分かっていただけるだろう。
よって、日本国内で見受けられるような「誰でもできる護身術」系にすることはせず、原初のままの弱者護身のための技法のままに伝える。それはこれからも変わらない。以下が、具体的な指導法である。
- ・徹底した反復練習によって、無意識レベルで身体を後退スライドさせ得る指導を重点的に行う。とにかく敵に捕捉されず、敵の力攻撃のベクトルに抗しない技法を指導する。
- ・危険回避知識や護身哲学たぐいの指導はしない。そのような内容の知識は、書店に行けば、複数並んでいる護身術本で習得できるから。
- ・武器操法を重視する。日傘、雨傘、杖など、90センチ棒で対抗できるように、八卦刀法を初日より指導する。200センチ棒による双身槍法を指導し、竹、のぼり、物干し竿、工事現場の進入停止棒で対抗できるようにする。双匕首技法を指導することにより、手持ちの水筒と折り畳み傘の組み合わせなどの二刀技術で戦うことができるようにする。
見てお判りのように、徹底した繰り返し練習と、徹底した現実的練習により、実際に危機が迫った際、力任せの攻撃によって圧倒されないことを目指している。
いくら護身哲学や心構えを学んでも、この技法ができない限り元も子もない。先ほどの、中国の歴史と同じである。いくら護身哲学や心構えが立派でも、いくら自分が正しくても、力の行使に屈したら、それらで我が身が助かることはない。結局、技法の行使で敵を戦闘不能にさせるか、敵から離脱することでしか、命を守ることはできないのである。
私は海上自衛隊の護衛艦の艦長になるのが大きな夢であった。護衛艦の艦長になるなら、防衛大学校を出るのが一般的である。当時は、防衛大学校に入学するためには、兵法や戦術知識が必要であると真剣に勘違いしており、小学生の頃から、戦史や兵法学習をしていた。その中で、多くの危機管理・危険回避知識を習得した。
しかし、そのような知識があっても、命に関わる危険を回避できなかった(野生動物の突然の襲撃や、いじめから大切な人を守ることだができなかった経験など)。
野生動物襲撃の際、私の命を守ったのは、ちまたの護身術が重視しているような護身予備知識などではなく、我の身体にしみ込んだ清朝末式八卦掌の中核技法(八卦刀術の背身刀)だった。知識だけだったら、私はイノシシの鋭い歯によって、膝付近を突かれ、外傷や感染症で、タダでは済まなかっただろう。
よって、弊門では、人をも殺傷し得る危険技法による護身術たる清朝末式八卦掌を伝えるため、遠隔地生科でも、仮入門制を採り続ける。
日本で生まれた護身術ではない。異民族に征服され続けた過酷な歴史を持つ中国で生まれた「中国産護身術」であるゆえの宿命である。