八卦掌の有名な構えがある。映画「グランド・マスター」でチャン・ツィイーが見せた構えだ。
梁振圃伝八卦掌では、あの構えは「推磨掌」と呼ばれている。
では実際に、八卦掌の使い手は、組手でも実戦でも、あの構えをするのか?する人もいるようだ。しかし私はしない。なぜなら、あの構えをすると、身体が特定の場所に居着き、敵の突進攻撃に対応できないからである。
しかし、映画や漫画の影響で、八卦掌はあのように構えると思っている人間が多い。門外漢ならまだしも、長年八卦掌を修行している人間ですら、あの構えをするという驚きの現状がある。
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映画のワンシーンを見てもらえばわかるが、男性拳士と真っ向からぶつかって戦っている。これはもはや弱者使用前提を離れた格闘技である。映画ゆえ、派手なアクションが受けるため、このような点が誇張されている。この戦い方は、「遊撃戦」ではなく、「変則ステップ戦」である。センスと若さ、対人練習での膨大な練習量、そして運が必要である。
実際に、約束事など設定せず、遠慮も手加減も一切ない実戦で、このような構えをして対峙してみると、この構えから反応することがいかに難しく効率が悪いかすぐわかるものだ。効率悪いを通り越して、対応できないのである。
夜間警備の職務中、野生動物(1メートル超えの猪)が3メートル後方から突進してきたことがある。アスファルトの上ゆえ、3メートル以上の距離を、わずか2秒足らずで詰めてきた。まさに突進である。
私は、手に持っていた棒で、背身刀を用いて後ろ撃ちしながら転身し持ち替え、その後後退して猪と並走しながら、2発を打った。あの構えをしている暇もなく、猪のファーストアタック時、背身刀にて後退打ちしてしのぐことしかできなかった。
後退スライドが無意識にできたから、背身刀の技も出すことができたのだ。突進してくる敵に、前にでて対応する技法しかしらなかったら、ファーストアタック時に、膝付近に、口から飛び出ている歯が刺さっただろう。
突進時、自分がとっていたのは、まさに、清朝末式の基本姿勢であった。練習時、ひたすらあの姿勢から後退スライドする練習をしているため、平素でも、無意識に清朝末式基本姿勢になっているのである。
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清朝末式八卦掌の女性護身術講座であるので、ここで明確に、構え方を示したい。
手を下げ、敵を背中越しに置き、逃げるように敵から遠ざかるように歩く。傍から見ると「嫌がって逃げている」かのように見える構えだ。実際に構えているように見えない。歩いて敵から遠ざかっているので、逃げているように見えるのである。
すでに身体が入っているので、敵が急速に距離を縮めてきたら、スライド並走して距離を詰めさせない。
そして状況に応じた後退スライド撤退戦の転掌式で対応する。
簡単そうに思うかもしれないが、これは意外と難しいのだ。そもそも、敵を斜め後ろに置きながら歩くことは、潜在的に恐怖を感じるだろう。事前に、この位置に敵を置いて歩く練習をしなければならない。
その練習こそが、かの有名な「走圏」なのである。
清朝末式八卦掌の走圏では、頭を円周の中心に向けたりしない。敵は四方八方にいるため、まっすぐ前を向いて歩くのである。円の中心に顔を向けていたら、円の中心にいる敵にしか注意が向かない。これでは、側面からの攻撃に反応ができない(気づかない)。
清朝末式八卦掌の基本姿勢。手を下げ、胸をくぼませ、背中が丸くなる。そしてリラックスした状態。実は、この姿勢こそが、構えの練習でもあるのだ。敵と対峙する段階は、少しだけ顔を、敵へ向けながら逃げるが、その後は、ひたすら前を見て高速ショウ泥歩で多人数の渦中を駆け抜ける(※対一人の時は、常にその敵を見て歩く)。
近代八卦掌の走圏練習で必ずと言っていいほど出てくる「八歩で一周くらい」もほぼ気にしない。水式門の正式門弟に、八歩で一周・・・といって指導することはない。移動遊撃戦になってしまえば、その時の状況で、旋回の半径もコロコロと変わるからだ。〇歩で一周、という決まりは、移動遊撃戦の弊門八卦掌では、顧みられない。
近代八卦掌の修行者が読んでいる可能性もあるため、指導許可を得て伝人にもなった先輩八卦掌家として、近代八卦掌の走圏について触れておこう。
※「伝人」の肩書は、後に無理な条件を付され事実上覆されることになる。このような行為は先生という立場でも弟子の将来を狂わし得る行為であるため承服していない。しかしこのようなくだらないトラブルに後進を巻き込ませたくないことと、梁派技法で弱者護身は難しいと判断した2つの理由から、梁振圃伝で弟子は取っていない。
近代梁派八卦掌の走圏では、腕をねじり込み、手のひらを地面の向け平行にし、指を目いっぱい伸ばして姿勢を維持する。激しい緊張状態をし続けることで、必要な箇所だけ力が入る状態へと導く練習法である。私も、梁派の第5代にまでなった人間なので、このプロセスを経て、必要な箇所だけ力が入る状態へと達した。
しかし、このプロセスの過程で、昔東京で中国人就労生の若手先生から習った八卦掌は、ガチガチの見苦しいフォームとなってしまい、八卦掌を少しだけかじった兄弟子に「水野君の八卦掌は本当にへたくそだ」とまで言われるようになってしまった。
私が指導者になったら、この「緊張の中に弛緩を見いだす」練習方法を、必ず不採用にしてやろうと考えていた。それくらい、功罪のある練習方法なのである。実際、最初の厳しい練習段階に耐えきれず、多くの人が八卦掌に挫折するか、基本姿勢をなおざりにした状態で先に進んで、軸のない動きになってしまう。
実戦では、もちろん、このような歩き方はしない。あくまで鍛錬のための姿勢なのだ。実戦時の動きではない練習法は、清朝末式八卦掌ではNGである。昔日に、実際の動きではない動きで練習している暇など無い。軍隊であれば、短期で徴収した農民兵を戦うことができるまでに育てる必要がある。
清朝末期は、今すぐに使う必要があるご時世(太平天国争乱の渦中)であった。今すぐに使うことができない武術など、昔日において必要とされない(岳家拳、楊家拳のような、秘匿性の強い門外不出の武術は例外である)し、繁栄もしない。
話を戻そう。
手を下げ、リラックスが要点となる、清朝末式八卦の基本姿勢で、敵から逃げるように歩き距離を保つ。必ず、その距離は、相手の手が届かない距離だ。理想は5メートルくらい。それくらい離れるようにする。
その状態から、敵が距離を縮めて来たら、すかさず後退スライド動作に入る。少し距離が縮まるが、その状態で、けん制となる推掌・穿掌などの攻撃を、相手の頸部めがけて放つ。
相手は突然の攻撃に足が止まるが、こちらは、歩きながら攻撃をしているため、移動速度は落ちていない。そこで距離が開く。
そのワンターンだけで、大きく引き離すこともできるが、そうでない場合も当然ある。そこで、このターンを、何度も繰り返す。自分の息も上がるが、相手は移動しながらの攻撃にほぼ慣れていないため、軸を失い、息が上がり、距離が開いていく。
その状態で、突如大きくスライドしてより一層大きく引き離し、相手の脚が止まるのを確認したら、キロメートル単位の「離脱」をして、身を守る。
ターンの最中も、常に基本姿勢を取り続ける。この基本姿勢こそが、「構え」なのである。
清朝末式八卦掌の走圏は、実戦で実際に採る姿勢で歩く練習のため、後退スライドの対人練習で試してみると、すんなり違和感なく動くことができる。