富山県高岡市は、万葉集ゆかりの街である。
市内には、「万葉線」が走り、有名観光地の雨晴海岸(あまはらしかいがん)は、かの有名な万葉歌人・大伴家持(おおとものやかもち)ゆかりの地である。
今年の歌会始では、敬宮愛子内親王様の御歌が大評判であられた。力強くストレートな内容でありながら、千年の時の流れをも感じさせる壮大な歌。歌風敵には、ますらおぶりの、男性的な壮大な歌。まさに万葉風である。
万葉歌人といえば、やはり大伴家持。家持の生きた時代は和歌が盛んになり始めた頃の時代。歌の名手ひしめく奈良時代に、敬宮様の御歌は、どう庶民に響くだろうか?
その内容。「難き時代」・・・で、能登地震の被災者のお気持ちにも寄り添う、感動的な御歌であられた。
そんな中で、秋篠宮佳子内親王様のお歌につき、敬宮様との比較にて、批判をするコメントを見て、とても悲しく思った。
私は・・・以前も触れたが、眞子様のご結婚問題で、いじめにも近い集中砲火的な中傷が横行した際、お姉さまのために身体をはってお味方になられた佳子様に、深いお優しさを感じた。
いっしょに暮らす親族が批判にさらされ、心を痛め、その人のために力となる。当たり前のことではないか。相手がどうとか、過去がどうとか、そういう問題ではなく、今現在、結婚したいと思う両者がいて、それが親族で、いじめに等しい批判を受けている。
なんとかしなきゃ、いや、なんとかする、私が味方になる、当たり前のことではないか。
私もきっとそうする。私もそうした。突き動かされるがままに動いた。そこで立ち上がれば、自身もどうなるか想像はついた。
佳子様も、きっと想像がついたであろう。心無い、辛辣な批判に、自身もさらされることなど、容易に想像つく中、お姉さまのために寄り添われた。想像すればするほど、怖いこと。
そしてその危惧は、現実のものとなった。今佳子様に寄せられる批判的コメントは、貫いた人間こそを受ける、貫いた証である。
目に見えない、匿名という安全(彼らは安全だと思っているが安全でない場所)なところで、多数派の流れに乗って、思いやりの気持ちを忘れ、配慮なく辛辣な言葉を並べる連中と、佳子様のように貫いたがゆえに言われない言葉を浴びせられる人間のふたつがあるならば、私は後者の方に文句なしの敬意を感じる。
後者でありたい。今までも、そうあり続けようと心掛けてきた。先も触れたが、実行してきた。
佳子様のお歌につき、自身の結婚をにおわすものだとか、己のことのみだ、とかいう意見もある。何をやっても文句を言われるのだ。私はこのお歌を、素直で素敵だと思う。
昔の和歌を見ても、恋の歌ってとても多い。それでも名歌として選ばれ、後世にしっかりと残っているではないか。
もし、自身の結婚や恋について歌っているにしても、己の気持ちに正直で、いい意味で衝動的で、素敵だと思う。心に沿って歌ったのだろうと、感嘆してしまう。
私も、内親王様のように、まっすぐに進みたい。そして、今日も進んでいる。このブログを打つのだって、そうだ。今トレンドのキーワードで記事を書くのではなく、己が打ち立てた誓いに近づくために、記事の内容を選び、心をこめて書く。
文もイラスト(※イラストは助けてもらっている)も、皆オリジナルだ。己の今の気持ちに沿ったものを挙げている。
そしてその気持ちは、いじめで守ることができなかったあの時から、変わっていない。貫いている。
貫ききった証が、清朝末式八卦掌なのだ。多くの人に笑われ、ダメ出しをされたが、何の問題もない。笑う連中は、私をとらえることができないため、倒すことができない。
倒してみろ!簡単に、倒されないぞ!私の後ろにいる人に、手を出してみろ!どんなことがあっても、倒されないぞ!
そう念じて、貫いてきた。倒す、攻撃して打ちのめす。そうではなく、勝算があっても、カラスを流すタカのごとく、悠然と引き回し、頃合いをみて突き放す。
そのようにぶれずに進んで来たら、八卦掌の原型に気づいたのだ。貫いた者に与えられた、紛れもない証である。
貫いて欲しい。失うことだらけだったが、誓いと信念を曲げない意志だけは失わなった。それゆえに、少数であるが、本当に私のことを理解してくれる人・技術だけが残った。
君も貫いたら、多くを失うだろう。しかし、貫くことで生み出されるものもある。それはほんの少しかもしれないけど、それが支えだったと、実感できる時が、近い未来にやってくる。安心してほしい。
きっと大丈夫、大丈夫。