代表・水野からのメッセージ」カテゴリーアーカイブ

2024年が明けて。

年初からとても悲しいことが起こってしまい、その対応に追われていた。

今後もしばらく、自分にできることに集中して動く。大原則、「自分の影響力の範囲内で」を守る。

正直、衝動にかられるが、何の技術もない自分が、勇んで駆けつけるようなことは絶対にしない。今行っても、何もできない。必ず、最大限に、家族のために、役立つことができる「その時」が来る・・・と何度も言い聞かせてきた。

「その時」が来るまで、現在状況を見続け、把握し、計画を立てる。今愛知でも、しっかりとできることがある。1日・2日は、気持ちが落ち込んだが、冷静になって分析することはできた。

家内と二人で歩きソフトクリームを食べた番屋街も、一番弟子・二番弟子らと練習し続けた比美乃江の芝生広場周辺も、大きな被害を受けた。私の心の支えとなって存在し続けてくれた氷見の街と人に想いを馳せながら、動き出す。

年初は、抱負を書こうと思ったが、昨年末の最後のブログでそれは書いた。今日は、書く時間を、1月27日の準備に充てることにする。それが今の私にできる最大のことだ。

八卦掌水式門の2大拠点にして、発祥の地、氷見市。ここまで来させてくれてありがとうございました。

こころからお見舞い申し上げます。今は心から復興を願います。「その時」が来たら、必ず駆けつけます。

八卦陰陽理論は、考えた人間にだけの真実。君の真理に従え!

八卦陰陽理論なんて知らなくても、八卦掌で十分に達人になることができる。確信している。

もっと言えば、たくさん伝わっている八卦掌の理論も、知らなくてもいい。

知ったところで、最初に素晴らしいスタートをきることができるわけでもない。途中で知ったところで、修行が大きく前進するものでもない。行き詰っている時知ったところで、その行き詰まりが解消されるものでもない。

37年の歳月の中で、理論を読み解いて技術が改善した記憶など無い。私の八卦掌の先生は理論を学べと言っていたが、私は同じ助言を、私の後に続く門弟に言うつもりは全くない(学ぶのはまったく自由)。

八卦掌成立時の、清王朝末期頃は、庶民の識字率など極めて低かった。中国王朝時代は、庶民が字を知り、反逆の知識・知恵をつけるのを恐れていたため、庶民に対する字の普及は意図的に避けられた。国体を維持するための国策だったのだ。

つまり、多くの拳法名手を生み出した清王朝末期~中華民国初期頃の修行者は、字など読むことも書くこともできず、ゆえに理論で技術を理解することもできなかった。それでもあれだけの達人らが出たことは、理論の学習が拳法深奥到達に必須でないことを意味するのである。

私は、冒頭に出た「八卦陰陽理論」など、勉強もしてないからほとんど知らない。ただ一つの箇所を除き。

後ろから迫る敵を引きつけ後退スライドして撤退戦をするとき、後ろから迫る敵は深追いをして「前方向に進む」慣性にどっぷりつかった状態となっている。

そこで追撃を狂わされ反撃される事態が生じたら、敵はその事態に対応できない。つまり、追撃という圧倒的有利な「陽」の状態のなかに、追いかける相手の変化に対応できない「陰」の要素が生じるのだ。

昔日スタイルの八卦掌は、その部分で撤退戦を仕掛ける。撤退戦を成功させるために、対敵イメージ走圏をし、ショウ泥歩で歩ごとに居着かない歩き方をし、扣歩→擺歩の後退スライドを練習する。

私が正式門弟となった人間に話す八卦陰陽理論は、その部分だけだ。それ以外を話したことがない。読んだことはある。

敵が入ってくる方向や、それに対する変化などを、八卦の卦にて説明する、極めて難解なものだった。八卦掌の術理に気づき、身体を自在に動かして捕まらない状態と、電撃戦をどこからでも仕掛けられる状態となった後のことだった。

しかし、その理論で我の動きの裏付けをすることなどできないと即座に感じた。

移動遊撃戦は、相手や我のその時の動きによって、その都度変わるもの。到底理論などで、移動遊撃戦の緒戦から終戦までを、説明できるものではない。

私の成長とともに技術を上げてきた女性門弟たちも、その考えになっていった。洗脳したわけではない。彼女らは、私に匹敵するくらい練習する。その中で、十代半ばにして、そのことに気づいたのだ。

「理論で、私の動きを妨げないで欲しい」と、強がりでなく、誇り高く宣言する彼女らに、私は大きな手ごたえと嬉しさを感じた。

理論に触れず、「これは大事だ」と、我の修行の過程の中の気づきだけで判断した「中核部分」で、門弟が強くなる過程を目の当たりにすることができたからだ。

八卦陰陽理論は、それを作った人(八卦掌の技術体系を八卦陰陽理論で裏付けた人)、作った人に直接学ぶ門弟、陰陽理論に触れて心底感動して悟った者とその者に直接習った者のみ、意味がある。

八卦陰陽理論は、自然の法則を人間が頭で考えて、当てはめたもの。であるならば、当てはめた人は、彼の表現としてまとめ上げたのだから、大変意味がある。そして、彼に習う門弟も、八卦陰陽理論を通して八卦掌をとことん理解した彼に習うのだから、意味があるのだ。

残念ながら、八卦掌水式門の水野義人には、この理論はしっくりとこなかった。しっくりこない理論なのに、八卦掌内で権威があるから、有名だから、という理由だけで理論教授や技術指導をされても、水野義人の門弟が分かるはずが無いのだ。そもそも、水野が深い箇所まで、説明しつくすことができないのだから。

私は八卦掌が、(1)創始者が、清王朝の宮廷に入った宦官(身体能力的弱者)であったこと、(2)斜進戦法を特徴とする力のぶつからないスタイルを採っていること、(3)手の動き、創始者の逸話のなかに、刀術のにおいが立ち込めていたこと、(4)師から「八卦掌は多人数専用の武術である」と言われ続けたこと、(5)八卦掌が、おとり作戦で守るべき人を守る悲壮な護衛拳法であること、などから、長い繰り返しのなかで、「単換掌の術理」と「前敵スライド離脱攻撃の術理(順勢掌の術理)」に気づいた。

気づいた時、すべてがつながり、目の前が開け、身体の動きが今までの次元を大きく超えたことを、抑えられないくらいに実感した。あの時の感動と胸の高鳴りは、今でも忘れられないくらいだ(どれくらい泣いたか覚えてないくらい、ずっと泣いていた)。

私にとって、単換掌の術理は、八卦陰陽理論で八卦掌を説明した天才にとっての「八卦陰陽理論」に匹敵するくらい、重大な真理なのである。

だから、この真理は、正式な門弟にしか指導しない。講習会や体験で時折来る、斜に構えて様子をうかがいに来る、八卦掌の「初歩の初歩」すらわかってない人間、デモンストレーションと実戦を区別もできない暇つぶしの動画視聴者になど、教えるはずもないのである(習う気もないからである)。

私はいつも思う。修行をしている者には、他の門派の内情や、他の拳法のデモンストレーションなんかに目もくれず、とにかく習っている門派の中核部分を繰り返して欲しい、と。

繰り返す理由はただ一つ。習っている中核部分を、その修行者の身体を通して、その修行者の理解方法で、理解してもらいたいからだ。

水式門の承継人には、いつも言っている。「君の気づいた理解プロセスに絶対的自信をもち確信し、君の理解の仕方で解釈したものを、八卦掌の術理として伝えよ」と。

修行者から指導者となったその者にとって、気づいた術理は、どんな有名先生の説く理論よりも真実に近い。その瞬間、彼にとっては、彼の理解の仕方で悟った八卦掌理こそが、「真実」なのだ。

彼に習う門弟は、彼が気づいた「真実」をもとにして、また新たな、門弟にとっての「真実」へと進むことができる。これこそが、伝承である。

先生は、自分自身の、膨大なくり返しによって気づいた真理に忠実となり、それをあますところなく伝える義務がある。その義務をしっかりと果たす指導者こそが、「良師」なのである。

誰それ先生に習った、とか、そんな上っ面なものにこだわっているだけの先生は、間違っても良師ではない。

そういう点で私は、梁振蒲伝八卦掌の伝人の道を捨ててでも、我の真理に向き合って指導しているため、「良師」なのである。我の真理に従って進んでいるから、胸を張って指導することができるし、これからも進化していくだろう。

講習会や体験で、一回習っただけで来なくなるような人間はいくらでもいた。きっと期待外れだったのだろうが、それについて、何ら気にもならない。

指導者になる際それを心配する人もいるが、「大丈夫だよ、そうなったからといって、君の真理がつまらないとかではない」と心の底からアドバイスしている。

八卦掌をやるなら、ここまで行こう。人を導く立場になろう。そのために、君の真理まで行こう。そこまで行くと、指導する以外にも、色んなことができる。

仕事で、自信をもってお願いができる。危険かどうかがわかる。野生動物の気配を感じとることができる。その瞬間、トップスピードで、その場から離脱することができる。これらは具体例。もっと素晴らしいことができるかもしれないのだ。

その世界を見てみたいと思わないか?誰それ先生の名でなく、君の名で、自由に堂々と、伝承活動をしてみたいと思わないか?

不安なんて感じる必要はない。私自身、人が来ないだけで、すべてうまくいっている。自分が目指す世界へまっしくぐらだ。

水式門でなくてもいい。君が習いたいものがあるなら、今すぐ動くがいい。人生は短いぞ。動けば、大変なこともあるけど、それがまた、君の「真実」へと、君を連れていく。

習っている最中は、先生の真実に素直になれ。でないと、上達しないし、失礼でもある。なぜなら、君は何もわかってないからだ。しかしひとたび一通り学んでわかってきたら、人の考えたものを崇拝するな。君の真実への、足掛かりとせよ。

八卦掌水式門富山本科イメージ

護衛官たちの夏~夜空に輝く花の下、ふたたび

梅雨が明け、いよいよ夏が本番となってきた。各地で、夜空を彩る花火が上がり始める

この時期になると、思い出すことがある。始めて、「護衛官」になった夏のことだ。

岡崎観光花火大会。全国的に有名な一大イベントに、遠隔地からも人がくる。その中で、子どもらを守ることになった。

八卦掌の達人だから人を守るのは任せておいてよ!と言い続けていたあの頃。「そうならば・・・」と、護衛の任務を授かった。

女の子三人の護衛。ずっと随行するのは、あまりに無粋。私は、少し離れた場所からずっと見ていた。

すごい人。会場の熱気と混雑ぶりは想像以上だった。

素晴らしい花火が次から次へと打ち上げられていく中で、大会もいよいよ佳境へと入っていく。

そうなると、がぜん不安となるのが、帰りに一斉混雑だ。始まりは、皆バラバラに来るため、混雑はさほどでもないが、帰りは一斉に、最寄りの岡崎公園駅方面に向かう道に殺到するため、戦場となる。

そのことを心配し、そわそわしている私に、あの人が穏やかに話す。いつものとおり、「大丈夫だよ」と言って。

「とうかいせん?だったっけ?護衛官の拳法なんでしょ、だから・・・式人は護衛官なんだ。大丈夫だよ、大丈夫」

ハッキリと今でも思い出す、花火に浮き上がる穏やかな顔。

護衛の任務を授かり、奮闘する護衛官に対する、高嶺の女性王族からの、いたわりの言葉。きっといにしえより、多くの護衛官が胸と目がしらを熱くしたことだろう。確信する。

なぜなら、私の胸と目頭が、湧き上がるようにと熱くなったことを今でもしっかりと覚えているから。

8月頭、富山氷見で、花火大会がある。あの時の少女らは大きくなり、技術を修め、護衛もいらない。しかし、再び任務を拝命した。

今度は、少女らからの拝命。8月5日、かけがえない存在からのかけがえのない任務を拝命したことを報告して、命にかけて。大げさ?そんなことない。

いつでも応戦できる。いつでも守ることができる。そのようになるように、ずっと準備してきた。

心はいつでも護衛官。お墨付きは、十年以上前にすでに得た。大丈夫。

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ライトセーバーのごとく操作しやすい特殊警棒を選ぶ作業

水式門の筆頭格門下生であり、刀術の達人的弟子に、護身用として特殊警棒をプレゼントすることになった。

もう十数年、私の八卦掌(の刀術)を信じ、いちずに習い続けてくれた子。中国では、師弟関係は親子も同然というが、まさに親子同然。

昔、私の兄弟子から、不要となってもらった無メーカーの特殊警棒(おそらく海外メーカー品)を、女性ゆえの護身用道具としてその子にあげたことがあった。

地方在住で、かつ人通りも少ない場所を夜歩くこともあったため、護身用として、防犯上の懸念がある状況下では、かばんに入れ、大切に使ってくれていた。

譲ったその警棒は、長さも短く、(きっと)安物ゆえ、振り出した後も、頼りなくぐらぐらしていた。これでは、この子自身や、大切な人を守る状況下にあって、命を預けることなどできない。

いくらこの子が八卦刀術をこれほどまで極めていても、道具の性能が追いついてない。これほどまでに技を修め、棒操術も長けているのに、腕に全く釣り合っていない、と感じていた。

この子のように、私にも負けないくらいひたむきに練習しぬいた門弟は、ほとんどいない。私の練習量は、自分で言うのもなんだが相当のものである。しかしこの子は、そんな私にも負けないくらい練習する。

指導中に、皆が雑談をしている時でも、黙々と、基本の斜めスライドを繰り返す。一緒に練習するときでも、とにかく基本を繰り返す。

模造刀やイベント用カンフー用品にもほとんど興味をしめさず、練習するときはホームセンターで販売している棒のみ(彼女の練習量では、木製の中国柳葉刀でもすぐ壊れてしまう)。

あと、他の流派・門派・格闘技の知っても知らなくてもいい知識なんかには目もくれなかった。ひたすら基本を繰り返してくれた。そして気づいたら・・・その刀さばきは、私をも上回るほどになった。

まるで、修行時代の私を見ているようだった。そんな誇りの筆頭門弟に、「そろそろ、新しいものに換えてもいいと思うぞ」と尋ねてみた。

予想通り、「これがあるからまだいい」と言ったので、「それは記念?にとっておき、品質と強度も高いものを」と説得したら、納得して、喜んでくれた。気を遣ってくれていたのだろう。

富山にいるので、最近名古屋にオープンしたばかりの防犯・護身専門店の「ボディーガード名古屋伏見店」にて購入し、門で保有していた数本の特殊警棒を、富山本科に行った際持っていき、試してもらった。

結果、31インチカスタムスチールの、対武器想定・男性使用前提の特殊警棒がいい、ということなった。

上のつば付き警棒が、私が仕事で対野生動物想定につかっている26インチカスタムスチール特殊警棒。下が、この子が選んだ、31インチのつば無しの特殊警棒である。

31インチでカスタムスチール。重量600グラム。まさに男性用。しかしこの子にとっては、何ら問題のない重さだった。案の定、その棒さばきは、初めてこの製品を使うとは思えないほど、立派で恐ろしさすら感じるものだった。

さすが。刀術の技術が圧倒的なので、男性用の警棒であっても、八卦掌の身体操作で、いとも簡単に操り、スポンジ支柱をあらゆる角度から、激しく打ちのめしていた。

これが人間だったらと思うと・・・・ぞっとする勢いだった。これほどまでに実力が上がっていたのか・・と、心から嬉しく思った。

夜道での帰宅など、危険な状況が日常生活の中に存在する女性にとって、特殊警棒は、いざという時、我が身と大切は人を守る切り札となる。

ライトで気軽に・・・などと言わず、徹底的にこだわった方がいい。それは護身術と同じである。

こだわる点。それは、値段ではなく、操りやすさ、握りやすさ、そして長さ。グリップの形状だったりする。この中で重要なのは、操りやすさと、長さ。「重さ」については、軽すぎると護身の観点から弱みが出てしまうため、慣れて克服したい要素だ。

この子の戦法は、ジェダイ剣術のごとく、30センチの柄の世界を頻繁に自在に握り替え、間合いをコロコロ変えつつ、身体移動と併せて三次元攻撃をしてくるもの。よってツバが無くて柄の長い、シンプルな形状の特殊警棒であることが、この子にふさわしい警棒となる。

※ジェダイ剣術でも、プロペラのように回転させるのではなく、身法にて身体移動で斬っていく、という箇所がジェダイ剣術っぽい。

数本降った後、「(私の)動きを妨げないのは、これかな」と言って選んだのが、31インチカスタムスチールの柄のない特殊警棒だった。

柄の先端部分を持ち、手をだらんと下げると、ちょうど棒先が地面につくかつかない高さに落ち着く。

この子の構えは、両手を下げ、棒の先端をもって自然に立ちながら背中越しに敵を置く。下方からの撩陰刀にて、敵の動きを止め、すかさず急所に斬りつける(たたきつける)というもの。

よって、31インチ警棒のように、女性にとって少し長いかな?と思うくらいがちょうどいいようだ。

これで少し安心した。きっとこの子は、何かあっても、磨きぬいた技術で、人のため自分のために、素早く対処できるだろう。

この道具は、この子が人を、そして自分を助けるうえでの、サポーター。

よろしく頼む!

八卦掌水式門富山本科イメージ

八卦掌・富山本科。再開の時。扈三娘一丈青に感謝。

八卦掌・富山本科。

コロナで県外移動すら「自粛」圧力で制限された状況下でも、ずっとイメージし続けてきたこと。

毎朝、愛知の自宅の近くの堤防で、川のせせらぎの音が聞こえる中で、波の音、ウミネコのなく声、防風林の葉っぱのざわめく音を感じながら、富山本科に向かっていた。

実に2年半。ずっとずっと毎朝愛知の堤防の上から、心の中を通して、氷見の松田江海水浴場に立ち朝焼けの立山連峰を見続けて来たら、ついに、6月18日再開門の朝に松田江で、その姿をハッキリとこの眼でとらえた。

6月という、もっとも立山連峰が見えない時期に、その雄姿ははっきりと私の前に現れた。心が震えた。朝焼けの海岸で、練習する者同士4人「キレイ、キレイ!」と言いながら、はしゃいでいた。

これは奇跡だろうか。いや、ずっとこの2年間「確実に訪れる日常」として確信して、信じて疑わなかったから、当たりまえに来ただけだった。しかし、さすがに朝焼けの立山が姿を見せた時は、泣き合った。

富山本科に来てくれたのは、一人。大切な人たちが眠る富山の地で、教える喜びを実感させてもらった有志に心の中で感謝しつつ、再開門の最高の時を過ごさせてもらった。

時が過ぎ、日が沈み、トワイライトの時が来て、私たち以外誰もいなくなった砂浜で腰を下ろして夕風に身をゆだねる時が来て、再び皆がいた時のことを思いだした。

一区切りがついた。この時を迎えるに向けて、疑いもなく、ただただ前に進んできたけど、今この時だけはゆっくりとしようと思い、他愛もない話をしながら、4人で乾杯をした。

その後、夜の海をもう少し堪能するため、場所移動。氷見の比美江に行き、少なからずまだいる番屋街の観光客を見つつ、横の温泉施設で風呂に入って、今日を終えた。

一つの区切りを走り切った充実感を味わいながら、海風の中再びコーヒーで乾杯。皆酒を飲まないからちょうどいい。これがいい。海に乾杯!

富山本科は、これからどんどん大きくなっていく。なんといっても、八卦掌水式門の北国拠点だから。

間もなく、富山本科女性教室も再開する(教えるのは私だけどね)。

北陸の修了門下生には、再開門を迎えるにあたってとても助けてもらった。今回私が長いコロナの期間、愛知でこの日がくることを信じて疑わないことができたのは、この子の影響が極めておおきい。

本当に感謝する。感謝しかない。きっと君は、君の敬愛する地慧星・扈三娘(こさんじょう)になるよ。いや、もうなってるか。皆で一緒に、一丈の青を、北陸の地に刻んでいこう。

君の雄姿を、女性護身科のシンボルとして使わせていただきます。これからもよろしく。

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ホームぺージの師匠の助言が、私の初心を思い出させた

八卦掌水式門のいじめ護身部のメッセージ集。その誕生のきっかけとなった、コンテンツの師匠のアドバイス。

拳法を少し離れ、パーソナルな部分を打ち出してみるのもいい。そうすると、人格に興味を持った人の中から、拳法への道につながる

最初は、「私みたいな無名の中年の書いた文に、興味を示すのだろうか?」と思わず言ってしまったが、彼の言う通り、私の人格のままに、過去の苦い思い出も含めて、さらけ出した。

そうしたら・・・そこから、真剣に私の記事を読んでくれる人が来始めて。技の解説ページにも、明らかに真剣に学習しているであろう訪問者も増え始めて。

何より、真剣に見てくれる人がいることがうれしくて、以前と比べ物にならないくらい、執筆に気合が入るようになった。ずっとずっと、弱者がいじめに対抗する護身術を伝授することが大きな夢だったので、この現象は、私の心を震え立たせた。原点に返った気分だった。

久しぶりに師匠に逢った際、イラストをプロに頼んでみるのもいい。そのアドバイスを受けて、まずサイトの写真を、プロに頼むことにした。

遊撃八卦双短棒をブレザーで演じる発想は、私のものである。その発想の良しあしはさておき、撮影の細かい設定については、プロのカメラマンに従って正解だったと感じている。

師匠といえど、年齢は私より20歳以上も若い。その若さで、人に技術を教える立場になっており、私に比べあまりに前途洋々な若者である。人にものを教わるのに、年齢も関係ないようだ。

スキルを得るまでには、血のにじむような練習・反復を要する。

残念ながら、最近のネット広告でも、変わらず「手軽に、早く、高収入」というようなものが見受けられる。

しかし人に教える立場、人にプロのサービスを施す立場になるには、昔も今も、万単位の時間が必要なようだ。

私自身、現在の境地に達するまで、3万時間以上を要している。私の場合、移動遊撃戦に達するまで、具体的な技術指導を受けたことがなかったため、模索と検証に時間を要し、多くの時間がかかった。

しかし、私の例は、珍しいことではない。そこが、先生に敬意を払う必要性の根拠となる。多くの「先生」と呼ばれる人は、人に教える立場になるまで、多くのトライとエラーを繰り返し、多くのお金と時間がかかっている。

たまに、プロとして仕事をしている人に、お金を払いたがらない人がいる。多くの場合、サラリーマンである方に多い。私は自営業者であり、自営をするまでに多くの犠牲と時間・費用をかけてきたため、払うお金を惜しむことが考えられないのだ。

今回写真を撮ってもらった時でも、プロのアドバイスは的確であり、仕上りも私が自分で撮ったものとは雲泥の差であった。次元が違うのだ。改めて、プロの道に進んだ方の技術力の高さに頭が下がった。

そしてそれは、私自身も言われることとなった。自信と気迫が出てくるようだ。強がりやはったりを超えた、内からにじみ出る気迫があるから怖い、と複数人に指摘されるようになった。

そのように言われるようになってくると、ドラマが多く発生し始める。人が来はじめ、自信が「躊躇(ちゅうちょ)」を無くし、どんどん次の扉をノックするのだ。

私のコンテンツ師匠は、先ほど言ったように、20代中盤であろう。しかし、先生からは、死線を超えた武術家のようなにおいがするのだ。

小さいことでおどおどしない。自信を感じるのは、持っているスキルを、血のにじむ努力で手にしたのだと思う。こんなふうになりたい

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護身は、常に勉強の連続。戦術的な失敗経験にて。

「誰もが・・・」のスローガンのもとに、護身術そのものの八卦掌を練習し、そして伝えて三十数年。未だ勉強の連続だと、改めて思った。

生徒さんをまじえた練習会の場で、自分たちの練習に興味を持ってみておられる外国籍男性(以下、男性)と、おつきの女性(以下、通訳さん)が、寄ってきて、何をしているか尋ねてこられた。

言葉が通じないため、通訳さんと介しての会話。しかし男性は、興味を持っている雰囲気ながらも、立つ間合いが近く、すぐにファイティングポーズっぽいしぐさをするため、挑発的な印象をすぐに感じた(生徒さんは、男性が離れた位置でこっちを見ている時から挑発的な雰囲気を感じておあられた。見事である)。

声をかけてくる方の中には、技を受けてみたいと願う方も時折おられるため、技を示すことに。また男性からは「試してみたい」意図を感じたので、どんなもんかと組手をしてみたかったのもあった。

エスケープ方法を知りたいというので、単換掌理による斜進後方スライドを示すことに。その旨を通訳さんに伝え、かかってきてもらうことしたが・・・・男性は完全に攻撃の間合いを取り、我に攻撃意識を向ける(それはすぐにわかる)。

明らかに教えを請う感じではない。挑戦であることを確かめるための虚打けん制穿掌。兵法でいう「威力偵察」である。まさか、穿掌を相手に当てるわけにもいかない。

力の入った男性の防御と反撃。明らかに勝負の意図である。穿掌後の防御平穿が無ければ、私は男性の反撃をまともに喰らっていた。

その時点ですぐに手合わせを打ち切り、通訳さんに、入門等をするなら、このような攻撃的な態度ではよくない、生徒さんの安全を守るためにも、この態度では受け入れられない、と伝え、終わらることに・・・と話しているその時

その男性が、生徒さんに、手を出す仕草をしたため、生徒さんが、対敵防御。

驚き、生徒さんの説明を聞き、これはトラブルになりかねないと思い、お引き取りを願った。しかし再び近寄ってきて・・・・。

通訳さんをに対し、無礼な態度を指摘し、申し込みがあっても、入門は認めない、と伝え、場所移動をした。

今回の件で、家族には大いに叱られた。生徒さんが強かったからよかったものの、私だったらどうするの?手合わせしたかったら、一人の時にすればいいのよ、と大目玉。叱られて当然である。

反省点は、挑発的な態度を感じ取った時点で、その場から去るべきであった。結果、生徒さんに対敵対応をさせる結果となった。これは明らかに私の落ち度である。

指導の場である以上、生徒さんがけがをしないことを最優先させないといけない。私は、自分の組手願望を優先させたため、結果として、対敵対応をさせる可能性を作った。

何事もなかったのは、生徒さんの護身能力が高かったからにすぎない。先ほども書いたが、生徒さんは、男性がこちらを見ている時から、威圧的な雰囲気を感じ取っており、かつ、男性が近づいてきても、警戒を怠っていなかった。それは生徒さんの間合い取りと、立ち方でよくわかった。警戒をしてるな、と。

常に警戒を怠らず、その状況において起こりうる可能性に準備をする。私が通訳さんと話している最中でも、男性に気を抜かず、警戒を怠らなかったことが、鮮やかな対敵対応につながったのだ。

今回の件では、私の対応は、戦術局面としては低い点であろう(護身の戦略としては、なかなかだったと思う)。片や、生徒さんの対応は戦術局面的に関しては、実に多くのことを学び取ることができる。戦術は戦略を上回ることはないが、時に、戦略的成功を曇らせるくらいの、印象を与える。

指導中ということで、自由に離れるのもはばかられる。危険回避を自由にできない状況。その中でできることは、安全な間合いを取り、不意の最悪の行動に備えること。生徒さんは具体的・戦術レベル的に行動していた。心身共にスタンバイをしていた。それが、護身につながった。

数多くの経験をしてきた。その都度、状況を分析し、フィードバックをするのだが、100点の戦術的対応ができることはない。今回は最低点であると辛口に判断する。

戦略的分析では、今回の件も、戦術的分析と違ったものとなる。またそれは、機会があるときに。

常に勉強である。

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立山連峰は見えないが・・講習会と報告と再出発

今日は、富山講習会。『「何気なく歩く」走圏から「基本姿勢・発力法」を練る明確な走圏に変える講座』講習会。

対多人数移動遊撃戦の土台であり、単換掌理における生命線・斜進後方スライドの機動力を確保する、極めて重要な基本。

講習会の告知でも、その重要性をしっかりと伝え、動画も作成して講習会でお伝えする内容も公開したが・・・・遠隔地門下生の方2名以外、誰も来られませんでした。

大変残念。伝え方が悪かったのか・・・?内容は実戦や散手・組手・乱取りで実証済みで、きっとこれなら、一人で奮闘しておられる方にもメリットがある、と思って、準備してきたが。

そもそも、ツイッターやホームページでも、当講習会の告知を、ほとんど人が見ることはなかった。当然私の力の及ばぬところも大きい。痛感する。しかしもう一つ、痛感することが。

「水野のスタイルは、今の風潮においては、大変だろうな。実戦重視とか言っておきながら、ネットで見ている連中の見たいもんは、対人用法の詰め合わせ動画だぞ。結局綺麗なのがいいんだしな」

「それじゃ、何もわっかんないだろ、足もうつってないやつある」

「わかる必要ないんじゃけ、戦いなんて、リアルじゃないんだから。一時、あざやかなもんに触れて、使える気になれればそれでいいんだからさ」

長年の武友との、会話を思い出した。コロナになってからずっと、この会話の内容がある意味で当たっていたことを、痛感させられてきた。

単換掌理は、当門が昔日の八卦掌を伝える稀な門であるゆえに、他では当門ほど重視されていない。当門では、単換掌理を指導するだけで、人によっては、ゆうに一年以上は時間を取ることもある。

しかしあまりにシンプルな動きに、講習会や出張講習で学んだ人の中には、残念そうな顔をする人もいる。仕方のないことかもしれない。

単換掌は、多くの人にとって、シンプルすぎる基本技の一つに過ぎない。深い意味を分かってない人も案外多い。

そして、単換掌をきっかけに学ぶ「単換掌の術理(以下:単換掌理)」は、「必倒」より「生存」重視の、逃げるのがメインのエッセンス。単換掌理にもとづく昔日の八卦掌は、近代八卦掌のように、合気道顔負けの流麗華麗な絡め技など、一切と言っていいほどない。

しかし私は、数年前、単換掌の術理・・・つまり単換掌理の重要性に気づき、涙も止まらないくらいの衝撃と感動を受けた。

「これならば・・・相手の状況に左右されることなく、生還できる。誰でも生還できる」

すでに私の練習相手が、その有効性を示していたのだが、今ほどの重要性を感じていなかった。眼前変化攻防に囚われていたからだ。「この戦い方で、どうやって多人数戦を戦うのだろうか?」とくすぶる疑問を持ちながらも、ひたすら変化攻撃ばかりを練習していた。

指導者の「まず一人からだ」という言葉を鵜呑みにし、「きっと対一人ができるようになったら、対多人数戦もできるようになるのだろう」と納得させ、やはり敵側面変化攻撃ばかりを練習していた。

しかし、記事 「倒さなくても、最後まで立っているだけでいい。昔日の八卦掌」 で触れたように、気の遠くなるような積み重ねの果てに、体重差や内功武術の使い手の膨張力の前に圧倒されたのをキッカケに心がくじけてしまい、そこで眼前攻防のスタイル自体を疑う気持ちが湧いてきた。

そして空しい日々がしばらく続いた後に・・・運命の言葉といってもいい

「単換掌理しかしない。私の攻撃なんて弾かれるだけでしょ」

それが、私の再出発でもあった。彼女はその時、私よりもずっと、八卦掌本来の姿に近い位置にいたのだろう。女性であるがゆえに、力と力がぶつかる世界にサッサと見切りをつけ、力がぶつからない世界に移動し、活路を見いだしていた。

今日の講習会は、私が最も重視し、志ある方に最も伝えたい内容だったがゆえに、大きな衝撃を受けた日であった。

ついでに・・・・楽しみにしていた、富山湾に浮かぶ立山連峰も、かすみがかって見えなかった・・・残念。下の写真は、富山県氷見市の窪海岸。遠隔地門下生の方のみの場合の練習場所。富山湾は綺麗だったが・・・。

さあ、再出発しよう。単換掌理と順勢掌理、それに伴う武器操法・・・・対多人数移動遊撃戦戦闘の理。すべてがまとまった今、「〇〇伝〇〇派」の”縛り”もない状態だから、ぞんぶんに前に進むことができる。

そのことを、富山の大切な人にも報告できた。喜んでくれていることだろう。前に進む。恐れるものは何もない。第九のテノール独唱部分の言うように

「進め、兄弟たちよ! お前たちの行く道を、そう、その道を!喜びに満ちて、勝利に迷わず進む英雄のように!」

ただ進むのみだ。もう、十分に練習はしきった。もう伝えていけ。もう、伝える段階なんだ!

4月より、八卦掌水式門は、再スタートをきる。我が門のスタイルに共感し、大切な人を守りたい、自分を守りたい、八卦掌を伝えたい、護身の法を知りたい、そう思う有志は、愛知に集え。

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倒さなくても、最後まで立っているだけでいい。昔日の八卦掌

立っているだけでよかった。倒さなくても、最後まで立っているだけでよかった。それができていたら。

人を守るには、自分を守るには、害悪を与えてくる連中を全員、倒さなくてはならない。そう思い込んで、ずっとずっと練習をしてきた。それが、私が長年、眼前変化攻撃にこだわってきた理由だった。

八卦掌とは、そのような拳法だ。弱者使用が前提だから、敵の目の前において、側面に回り込んで、相手の逆を突いて、反対側から、敵の思わぬ方向から打つ・・・・そう思い込んで練習をしてきた。

柔道の乱取り、空手や意拳の人との組手、とにかくやり続けた。そしてずっとずっと負け続けてきた。技術に自信がない時は「練習不足」だと言い聞かせて、とにかく側面に少しでも速く回り込むことを考えて、足腰をひたすら鍛えてきた。

速度が上がり、側面から強引にでも、圧力をかけることができるようになってきた。でもそうすると、今度は体重差や力によって、踏ん張られて弾き飛ばされる。

体重が60キロくらいしかない私は、男性格闘愛好家の中では軽量級。体重差で負けることが悔しくて、やはり側面移動速度を上げることをエスカレートさせて・・・やっとなんとか、と思いきや。

今度は、内功による胸前空胸による内から外に張る膨張力によって対抗する相手に、微動だにせず弾かれて・・・。ならばこの側面移動の速さではどうだ、と変化攻撃の果てに虚を取るが、相手はわずかに身体の向きを変えただけで・・・涼しげに押し込まれて。

正直に覚えているのだが、その時は、あまりの衝撃に、帰りの車中では、涙が止まらなかった。いつになったら、「人を守ると言って負けて、同級生の学生生活をつぶしてしまった、あの瞬間に戻って違った結果を残すことができるようになるのか。いま戻っても同じことを繰り返すだけ」と泣けてしょうがなかった。

人生に挫折、というものがあるのなら、あの時も確実にその時だったと思う。

それからしばらくは、自己満足のための練習・・・。それでも自分はやってるんだ、あきらめてないんだと、思い込むための練習。それが続き、日に日に身体各所に、ガタが来始めた時・・・。

「私、単換掌理しかしないの。なまじ他のことやると疲れるし、最後まで立っていればいいでしょ。だって私の攻撃なんて、前に出ても、弾かれるだけでしょ」

と高校生女子の言葉。ハッとして、これは・・・・。ひょっとして・・・と思った。

そして、プロイセンの参謀長、モルトケの言葉を思い出す。

「目的はパリ、目標はフランス軍」

パリという目的を狙えば、我が決戦を望むフランス防衛軍は、かならず出てきて決戦となる。その言葉は、侵略軍側人間の言葉だが、逆に考えてみる

敵の目的は、自分が守るべき人。敵は、その獲物を確実に得る目的を達成するために、邪魔な自分をまず排除しようとする。威圧と力、もしくは数で。そこで、自分が敵に捕まらず、動きまくり、状況が変わるまで、いや、助けが来るまで立ち続けていられれば。倒さなくてもいい・・・立ち続けていられれば。

倒そうとするから、敵に近づき、敵の技術や体格による影響を受け、そこで動きが止まり、あの時のように、後ろから椅子の足で殴られ、つぶされるんだ。「先生や誰かが来るまで、立っていればいい」とあの時気づいていたら、あいつの前で止まらず、防衛戦はその後も続いていたのに。

決戦でフランス軍が負けないで残り続ければ、脅威は残ったままなので、プロイセン軍はうかつにパリを占領できない。そう、攻撃しても殲滅できない、しぶといフランス防衛軍であればよかったのだ。なんでそれを、誰もおしえてくれなかったのか。なんでその生き残りの知恵を、あの時私は思いつかなかったのか。

それからずっと、単換掌理による模索の日々が続く。単換掌理は知っていた。しかし眼前攻防による必倒スタイルが、それを軽視させた。

気づいてからの模索の日々でも、相変わらず負け続けた。どうしても前にでてしまう。前に出れば、もしくは技巧によって敵を抑えようとすれば、必ず敵と力がぶつかり、弾かれる。

でもうしろにスライドすれば、違った結果が出る。徹底して、敵と力がぶつからない道を考えた。すべての技術を検討し、検討を速めるために、技を厳選し・・・・・。そうすると、走圏の意味も、定式八掌のけったいな動きも、すべてがクリアになっていくのだ。

やっと昔日の八卦掌の形に触れることとなった。昔日の八卦掌は、武器と戦っていた。だから各種武器の形状や使いにくさ、不適合さから逆推して、昔日の戦闘スタイルを裏付けする作業が続いた。

移動しながら武器の先に推進力をのせる、は、移動しながら、という前提により、八卦双身槍や鴛鴦鉞、刀の技法や形状から容易に昔日の戦闘スタイルが把握できた。

下のイラスト図は、近代スタイルと昔日スタイルの特徴を簡潔に並べたもの。私自身、近代スタイルを挫折してしまうくらいまで長く向き合っていたため、その違いはよく分かる。図は近代スタイルの批判ではなく「違い」として見てほしい。昔日・近代、ともに長短があることがわかる。

対人での練習が重要な位置を占める単換掌理。眼前対一攻防が主流の現代において、掌理を理解し、実行・経験している人は少ない。

眼前対一攻防の近代八卦掌の優れた指導者は、日本各地におられる。

しかし私は「誰もが・・・守ることができる」の条件に、目をつぶることができなかったため、この道を行くことにする。流派のネームバリューもない昔日の「単換掌理」スタイルのみのいばらの道だが、構わないと思う。

なぜなら実戦では、「これなら私が心の底から願う目的を達成できる」と己が信じたスタイルで存分に戦い抜き、最後まで立っていることが最も重要だから。

いきなり木刀やリードにつながれた犬で襲ってきた人間たちには、当然、拳法をやっていることや流派の名前を知らせる時間的余裕はなかった。突然後ろから突進してきたイノシシには、当たり前だが言葉なんて通用しない。

幾多の経験もあいまって、拳法は何が重要であるか、八卦掌は何が重要か、そう「生存」すること、「生還」することが重要なのだ、と確信し、すべてがつながった。数多くの基本技法も、老八掌も、定式八掌も、武器も、すべてが、つながった時だった。

これからは、講習会を開き、通信併用科も近々開設し、単換掌理を中核とした昔日の「生存」第一の八卦掌を伝えていく。

「誰もが大切な人を守り、そして自分を守ることができる」技術を、全国各地で、有志が、少しの行動で学ぶことができる・・・その環境が提供されれば、「立っているだけでいいんだ」と多くの防衛者が気づき、弱者が救われ、笑顔が増える。苦しみがそこで終わる。

このことを、真剣に考えている。

弊門の講習会では、冷やかしや、無礼な対応で肩透かしをくらわされることも多い。伝承系統を示すことができなくなってから急増した傾向だ。

武を志す者の中にそのような人間がいることは大変残念。いざとなった時、または苦しい時、優しさよりも己の利を優先させ、人を踏み台にするような人間かどうかは断言できぬが・・・・拳法なんぞ究極は人を傷つける技術。そんな人間にかかったら、不幸な人間を増やすだけと思ってしまう。

もしあなたが、君が、「誰もが大切な人を守り、そして自分を守ることができる」という度真面目でくさいスローガンに少しでも共感できるなら、君は優しさの天才。間違いない。

そんな君やあなたにこそ、教えたい、と素直に思う。そんな優しい人には、全力で「最後まで立っている」技術を伝える、と約束できる。

どんな形でもいいから、興味が少しでもあるなら、来てほしい。愛知に集え。

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