どうしようもなく辛いことがあった時は・・練習した

何度やってもうまくいかないときは。どうした?

とにかく練習した。

花火大会の最中に、普通に一人で歩いている時、警察官に職務質問され、公衆の面前で身体検査され、指紋をとられ、不良少年たちに指をさされながら、「おまわりさん!その悪い奴を捕まえて!」と言われた時は、どうした?

とにかく練習した。

伝染病がはやり、今まで培ってきた生徒が、一気に去って振り出しに戻った時は。どうした?

とにかく練習した。

流派の後押しを奪われ、問い合わせが一気に減り、途方に暮れた時は。どうした?

とにかく練習をした。

場所を借りて講習会を開いたが、誰も来なくてお金だけ無くなった時は、どうした?

とにかく、練習をした。

お金がなくて、家賃を払うことができなくなり、拠点を、選択肢のない中で失った場合は、どうした?

とにかく、練習をした。

疲労がたまったのか、倒れて病院に運ばれたばあいは、どうした?

とにかく、練習をした。

学年で上位をとりつづけても、通知表の数字があまりに低く、文句を言ったら「お前の胸に聞いてみろ」と笑いながら言われた時は、どうした?

とにかく、練習をした。

これらの、うまくいかなくてもいい「どうでもいい」時でも、練習したのだ

では、どうしようもなく、辛い時は、どうした?

やはり、とにかく、練習をした。

どんなことがあっても、練習をした。子に頭をひっぱたかれても、それがあなたが達人になった唯一の理由だから、それがあなたが、他の人と違う、最大の武器だから、と言ってくれたから、練習をしてきた。

なにかあった時、練習できるか?ではなく、いかにして普段どおり練習をするか?をまず、考え、そしてすぐ実行する。

やりはじめにどれだけ辛くても、やり始めてしまえば、ほぼ使命を果たすことができる。

私は達人である。

達人は、練習を苦にしない。嫌なものととらえない。師の教室に行くときは、いつも希望をもって臨んでいたから、とにかく参加したかった。

「今日は○○だから練習はいいや」は、いつか「やったりやらなかったり」となり、その後、達人となくなる

私は、もう、何十年、練習をし続けたか、わからない。学生の時であろう、きっと、休んでしまったのは。覚えているはずが無い。

これからも、きょうも、いまから、練習をしにいく。

達人になるのは、これが最も重要だ。とにかく、練習すること、だ。流派とか、有名先生の指導とか、一切関係ない。君次第だ。例外はない。私は、休まないでずっとずっと積み重ねてきたから、自然と術理を極めた達人となったのだ。まだ先があるが、でも、あの日思い描いたもっと先まで、到達したのだ。

きみもなることができる。とんでもない境地に来るだろう。

辛い時は、せめて、未来を楽しみにするといい。正しいやり方?そんなもの、人が教えられるはずもない。そいつは、そういって、金を儲けたいだけだ。正しいやり方は、君が練習をし抜いた果てにだけ、気づくことができるものだ。安心してほしい、もっとも効果的なやり方は、君はずっとやり続けた先にのみ、待っている。

一緒に練習しようか、私も、今日はとっても気持ちが落ち込んだ。

一人を実感した。最も逢いたい人に、やっぱりこれからもずっと逢えないことを痛感した。花火に行って、人が笑いあう中で、それを悟った。横に居た人が、もういないことを悟って。

最も辛い時だ。さて・・・・とにかく、練習しにいこうか!

八卦掌水式門富山本科イメージ

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