必ず前に進む盆~城端トンネルを抜け、砺波平野に行くために

「帰ってきました、ただいま」

東海北陸自動車道の城端トンネルを抜けると、長かった一車線の区間が終り2車線となり、進行方向右手に、砺波平野が見えてくる。

スケールの大きい扇状地に沿った高速道路を下っていくときの達成感と、安心感は格別である。

そして冒頭の言葉をいつも言う。一人の時も、子らといる時も。

今年の盆休みは、富山に帰ることができない。仕事の都合、金銭面の都合だ。しかし今すぐにでも、富山に行き、大切な人に逢いに行きたい。

しかし、いま帰っても、自分の望む未来には近づくことができない。ここは、ぐっとこらえて、盆の時間を前に進むために使う。

鬼籍に入った人たちが「帰ってくる」と言われる盆。

昔は、そのことについて、特別な思いが湧かなかった。でも、今は、居ても立っても居られない心境になってしまった。

今年もとっても後悔した。お金がない?時間がない?そんなこと、どうでもいいじゃないか、帰ればよかったじゃないか、とずっと考えていた。

8月頭の富山行き。その時、本当にゆっくりとした。筆頭弟子や一番弟子と語り合い、想いを馳せ、釣りをしながら亡き大切な人のことを考えて、能越道高岡インターに入るまで、ずっとしのんでいたのだが。

盆休みはいけない。ちょっとした買い物でも、どこにいっても、父親と母親、その間で笑う子供たちの姿を見る。あまりのまぶしさに、ぼうぜんとしてしまう。

自分がいつも考えていることは、もうこの世に姿を残してない人のことばっかりだ。どれだけ何かが起ころうと、触れたり、話したりできない人のことだ。

夢にも出てこない。そばにいるんだ、と思うことができるようなサインも一度もない。生前「これがそばにいるサイン」というものを、決めてなかった。決める心の余裕なんて私にはなかった。心にいる。心にいるんだけど、姿が見えない。話したい。できることなら、逢ってみたい。

2年以上の時が流れても、何も変わっていない。むしろ、時が過ぎていくことに、焦ってしまう。昔のこと、なんて、絶対に思うものか。

とにかく、忘れたくない。どんなことがあっても忘れない。そう思って、一緒に見た未来を、今も追っている。

でも、一人はやはり大変だ。前に進む、必ず進むと決意しても、これまでと同じように、積み重ねていくしかない。圧倒的に多くの時間を、一人で戦わないといけない。

しかし孤独だからといって、子を、必要以上に巻き込むことはできない。それぞれの道がある。20歳以上も上の人間の、夢に付き合わせるわけにいかないのだ

こんなことを、これからも毎年思うことになるのは、とっても大変だと少し前まで思っていた。

家族連れを見るたび、心に負担がかかり落ち込んでいた。そんな中、最近、ふと思い出したことがあった。

「優しいフリでもして、偽善者にでもなって、幸せを願ってみるのよ、時に泣けるくらい、救われるから」

別れが来ることなど考えてなかったときの、ほんの冗談だったのだろうが、それを最近、何の脈絡もなく、ふといだしたのだ。

その冗談を実行してみた

家族連れや、恋人たち、友達と集い笑いあう人たち、BBQで盛り上がっている人たちに、こっそりと

「いつまでも幸せに」

「別れもなく、そのままずっと一緒でいられますように」

「最高の笑顔だね」

「盛り上がってるね、今年の夏は熱くなりそうだね」

なんて、独り言で呟いてみる。思ったままに。

そうすると、一時だけど、どんな本やサイトに書いてあるピンチ克服法よりも、心が救われた。あの人は、この効果を知っていたのだろうか?

正直、今年の夏はかなり厳しかった。やることなすこと、すべて失敗になり、安い拠点すら、維持できず愛知の定住先を失い、後継のメドなどまったくたちもせず、八方ふさがりだった。愛知では何もうまくいかず、見限っていた。

その状況を救ってくれた言葉だった。もう愛知にも、刈谷にも、こだわらない。本当に必要とする人のもとに行けばいい、と思った。

どん底の気分の中でふと脈絡もなく、自分を救う、あの人のこの言葉を思いだしたのは、人知を超えた存在のサインだったのかもしれない。そうならば、どれだけ嬉しいことか。

今年の夏は、偽善者になって、幸せでも願ってみる・・・・か。サインであると、信じてみるのも、いい。

八卦掌水式門富山本科イメージ

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