「構えないで、最も近い敵を目安に距離を保ち続ける」を「構え」とする理由
「構え」は、試合や組手(くみて・空手における対人自由打ち合い練習)・散手(さんしゅ・中国拳法における対人自由打ち合い練習)で行われるものであり、実戦(行きずりで受ける暴力・通り魔事件)では、ほとんどとられることがない(1対1のケンカでは、結構取り合っている)。
自身が経験した複数回のトラブルでも、構えた状態から実際の打ち合いが始まることはなかった。一線を越えることにためらいのない相手は、突然横や後ろから、また話し合いから、手を出してくる。
構える行為には、長所と短所がある。
「構え」ることの長所
警告を与えることができる
自分の決意と格闘的な強さを相手に示すことができる。
よく知らない相手が構えると、何らかの武道・武術がやっていることを予想せざるを得ない。武道・武術の経験者は、やはり格闘の場において大変有利である。
戦うことをためらっている相手にとって、「構え」は立派な警告となる。
安心感がある
特定の構えからの攻撃展開を徹底的に身体に染み込ませた者にとっては、迷いをなくし、冷静さの中で対処できる、という精神的安定を生み出す。
対一人の際は眼の前の敵にのみ集中していればいいため、防御の手技技術に精通しているならば、特定の構えからスタートしてもさほど押し込まれることはない。
「構え」ることの短所
相手を必要以上に刺激してしまう
トラブルが発生した場合、武術的な「構え」をして相手を見すえる行為は、相手を刺激しする。
いじめのシチュエーションにおいては、残念ながらいじめる側はいじめられる側を下に見ているため、いじめられる側が構えをとって反抗の意思を示すと、ねじ伏せてやろうという残酷な気持ちが一層高まり、暴力を誘発する。
私の経験から、「構え」の姿勢を見せると、相手は「やれるもんならやってみろ」と言って、態度を硬化させてきた。先ほどは「決意を示すことができる」と書いたが、ひるむケースは残念ながら圧倒的に少なかった。
「構え」ることでその場に居着き、相手の動きに遅れをとる
特定の形で構えることで、身体が固まりその場に居着く可能性が生じる。この点が、構えることの最大の欠点である。
身体の動作が遅くなる時は主に2点。方向転換する時。そして、止まった状態から動く時、である。特定のポーズで構えると、おおかたその形で身体が固まり、その場で居着くことになる。
よく言われる、「構えていると攻撃に対処できる」は、ベテラン以外にはあてはまらない。どこを打ってくるか、どこから打ってくるか、突き(パンチ)でくるか蹴りでくるか、それらが予測できない実戦において、ただ構えているだけの初心者はほぼ反応できない。
最も近い敵と3m以上の距離を置き、3mを超えて接近してきたら移動遊撃戦開始(回避行動開始)
上記のとおり格闘技的な「構え」は、こちらの戦う決意・意思を相手に示し威嚇する利点もあるが、それがかえってあだになることもあるのだ。
練習し始めの君は、当然に、構えからの防御・攻撃展開に慣れていない。構えた瞬間から、いつ来るか、どこから来るか分からない相手の攻撃に備える羽目になり、それゆえに緊張し身体が固まってしまう。
実を言うと、固まったら、武術経験者であっても動くことができなくなるのだ。私は散手(組手)の際、切り込むタイミングを、「敵が構えた直後」としている。実はこの瞬間が、高い確率で身体が反応できない状態であると、自身の経験を通して知っているからである。
これでは、打撃を喰らってしまう可能性が極めて高くなる。よって、いじめの中で行わる集団からの暴力行為に臨む場合は、特定ポーズでの「構える」ことにこだわらないようにする。あくまで「自然体」にして、間合いを取ることに意識を集中する。
最初はとにかく「距離」を置け!
明確に方法を提示する。手を下げて丹田付近を充実させた「自然体」となり、相手との「距離」を置くことから、いじめにおける暴力との戦いを始めるのだ。
八卦掌の戦闘方法の真髄・中核である「単換掌の術理(以下「単換掌理・たんかんしょうり」と呼ぶ)」を用い、敵を横目に置き、最も近い敵との距離3mを維持する。
誤解を恐れず言うならば、横の動画で示す身体操作によって、敵の攻撃を避け続けることができるようになりさえすれば、いじめの暴力は収まる。
いじめる人間たちは、集団でも君を捕らえることができなかったことによって、「偉そうなこと言ってるが、捕まえることすらできなかったな、あいつら」と皆から笑われ、権威を失墜する。かたや君は、集団から逃げ切ったことで、手ごわさを皆に見せつけ、一目置かれるようになる。
よって、いじめを克服するための練習は、動画における身体操作によって、最も近い敵との距離を常に保ち続けることができる技術習得のために行うことになる。
実際に暴力を行使される前は、自分から最も近い距離の相手との間を3メートル(室内で3mが厳しい場合でも、できるだけ広く)とること。
この位置取りをすることで、自分に最も近い敵が突撃してきても、単換掌理の斜め後方スライドで身体を逃すことができ、敵全員の動きもおおまかに把握できる(イラスト2参照)。
大げさと考えずに、最悪の事態を想定しよう。君は、学校内の戦いといえども、自分の未来をかけて「戦い」に臨んでいるのだ。不用意に距離を詰めれば、突然武器を出されるかもしれない。集団に必要以上に近寄ったら、取り囲まれて抑え込まれてしまうかもしれない。
接近戦を主眼とした中国拳法の門派はたくさんあるが、八卦掌に限って言えば、「相手との距離を置くこと」は、どんな構えにも勝る防御となるのだ。
八卦掌は、太平天国反乱軍の残党や、馬賊・野盗・賊徒がはびこり、街にはアヘン中毒者がうろつく、中国清王朝末期の治安の極めて悪化した時代に生まれた対武器・対多人数想定の武術である。距離を置くことは生き残るための大前提となっているのだ。
対いじめ暴力の戦いにおいても、昔日の武術の危機管理意識はぜひ見習うことにしよう。
では、接近して戦う場合は、どうするのか。参考までに触れておこう。接近戦を主眼とする中国拳法の門派では、「相手の吐息が届くくらいの距離に潜り込み」の拳訣があるくらい、距離を詰める。
そして、そのような近距離で戦うためには、近距離間合いの格闘術に長けていなければならない。敵横・敵眼前での攻防技術(防御と攻撃)、そして最も難しい入り身(接近)の技術を磨く必要がある。
これらの技術を実戦で実行するには、長年の練習によって積み重ねられた高度な技術と経験に裏打ちされた度胸・自信が必要となる。今まで武術に縁がなかった普通の学生には大変難しい。ケンカ慣れした人間は、この「経験と度胸」が足らない(もちろん、ケンカによる経験なんぞする必要もないし、してもいけない)。よって、それらがなくても対敵防御行動ができる八卦掌の技術を磨いておくことは、普通の学生にとって大変有効なのである。
集団中の一人が動いたら、移動し始め、横撃攻防を展開し始めよ。
一人でも動いたら、移動遊撃戦開始のサイン
「距離をとる」ことは、護身における最重要基本行動であり、護身行動の第一歩となる準備行動である。それは八卦掌においても同じであり、移動遊撃戦開始の準備段階となる。
※護身の最重要基本は、「危険を避けること」であるが、それはいじめの場ではなかなか難しい。いじめ側は君をいじめる目的で近づき、その目的を達成するまでしつこくつきまとう。学校生活という半強制的参加の場で逃げることはたびたびできず、今後の学校生活を考えると、その場で対応する方法が現実的となる。
「構え」ることの目的は、防御と攻撃をしやすいようにするためである。八卦掌において防御動作の主役は移動により敵の攻撃照準から我をそらすこと。攻撃動作の主役は、移動しながらによる連続攻撃で右や左から自在に打つ連続した「横撃(おうげき)攻防」である。距離をおくことで敵攻撃が我に到達する時間がほんの少しだけ長くなるため、我が大きく移動しはじめる動作をとる時間的余裕が生まれる。
※間合いが近すぎると、いじめ側の攻撃が我に到達するのまでが速すぎるため、移動する動作を起動させる前に攻撃が到達してしまい、そこでいじめ側に捕まってします。最初が極めて肝心。
対いじめ攻防において、八卦掌実戦攻防のように、半斜して敵の頸部に指先を連続して打ち込むことなどという危険なことは決してしてはならない。いじめ側は当然、我の命など狙っていないからだ。よって、移動遊撃戦によって敵攻撃をかわしつつ、必要に応じて捶掌(すいしょう・掌底突きのこと)や体当たりで弾き飛ばすことが危険の少ない妥当な攻撃となる。
対多人数組手・対多人数想定約束練習・そして実際の有事において、移動して動き回るだけの回避行動は、極めて有効であった。組手や散手であれば、移動して敵の攻撃をかわすだけの攻防練習は、怪我のすくない最も安全で効率的な練習法となる。
実際の有事においては、移動して動き回り回避する行動は、その場から逃げる機会を作り出し、相手にに対し冷静さを取り戻させ、かつ、後日刑事的責任も問われない後腐れのない対応行動となる。
よって、いじめ側の理不尽な扱いに対し拒絶し、いじめ側が何らかの威嚇行動をとったなら、「距離をとること」をまず行おう。その時の姿勢は手を下げた自然体こそが最も望ましい(特定のポーズは、技術の上達後に各自が自由意思で生み出すもの)。
逃げ続ける先を失った場合・反対側へ移動する場合には順勢掌理の理でスライド突破する
下のイラストを見てほしい。三人のいじめ側がいるが、我は距離をとり、三人とも、我の視界に収まる範囲に置く。その際の姿勢は自然体。場所は廊下である。もはや後方へはいけない、という状況を想定して欲しい。
この場所でいじめ側の言葉による圧力を聞き流しながら(拒絶したことを無駄にしないためにも、ここで一切妥協してはならない。とにかく聞き流そう。)、ひたすらいじめ側集団の動きに注目をする。一人でも動いたら、戦いの再開である。
向かって右側の、水色シャツの男が、威嚇しながらこちらの向かい始める動作を開始した。その瞬間、我は水色シャツ男の右側か、白色シャツ男の左に向かって猛然と移動を開始する。決して中央突破はしない。突破できず緑色シャツ男に捕まると、左右の男にも捕捉されてしまうからだ。
ここで、単招式の技術が活きてくるのだ.。単招式は、敵の側面を捕まらずに打ち抜けることを実現するために行う練習なのである。
相手の勢いを上回る覚悟で動き始め、スライド(斜進)しながら打ち抜けよう。双按連捶・半斜三穿でいい。シンプルな技でいい。
青で囲った部分に移動すると、そのすぐそばの男が必ず斜めから寄ってくる。そこで半斜して相手より半歩斜めにずれつつ照準を狂わせ、こちらは翻身発力を活かした捶掌にて相手を弾き飛ばす。
その後は同じことの繰り返しである。移動遊撃戦は、通常の眼前攻防より時間もかかり、かつ手数も多くなるため、両手はなるべく下げた自然体であること(手を挙げ続けていると、すぐに疲れてしまう)。移動遊撃戦での構えは、ほぼこの形の一択である。
イラストの状況で、単招式でつちかった技術をもって側面スライド突破をしたら、また先ほどのごとく、距離をとり、逃げ続ける。
移動遊撃戦の泥沼に引き込むつもりで、戦いを継続しよう。君にとって戦いとは、逃げて逃げて、逃げまくることなのだ。それで君は取り返すことができる。
遊撃戦のおける「移動」力を養う一人練習
距離をとることも練習が必要である。例えば、人の多い駅などで、すれ違う人と均一に距離をとる練習をするのが最も効果的である。
ぶつかる寸前で避けるのではなく(当たり前だが、これは迷惑かつ危険行為・犯罪行為だからしてはならない)、ぶつからないようにゆとりをもって人の居ない場所に回避しながら歩くのである。
気配を感じ取り、通行人の動きを予測して余裕をもって滑らかに歩こう。このイメージ練習とあわせて、下の動画の練習を行う。これは当然、人のいるところでやってはならない。誰も居ない広い場所で行う。
いじめ側は、近づこうとしても近づくことができない君の動きを目の当たりにしたら、今までの君とは違った雰囲気を、「君」から感じ取るだろう。その積み重ねが、いじめを跳ね飛ばす結果へとつながる。実際の攻撃で相手を傷つけることもなく、我のすごみを示すことができる。
移動遊撃戦開始後は「横撃攻防」の連続。「行いやすさ」と「持続させやすさ」の自然体。
実際に相手のうち一人でも行動し始めたら、こちらは自然体の構えをとって移動し始める。移動先は、下イラストの通り、敵をとらえることができる範囲での、敵の居ない場所である。移動し始めたら、後は戦い終わるまで移動し続ける。
対多人数を戦う際の重要なポイントの一つは、「止まらないこと」なのだ(これは八卦門において伝えられる重要な要訣である)。移動することがすでに防御なのであり(手による防御は補助にすぎない)、対多人数戦を生き抜くことができるか否かの分かれ目なのである。
繰り返すが、ずっと移動し続けるのに、特定の姿勢をとり続けることは、腕の疲労を招くだけである。3分も過ぎれば、あっという間に息はあがり切る。身体を少しでも長く動かし続けなければならないのに、補助である腕のために体力を使うのは明らかに効率が悪い。
多人数戦の状況では、迫りくる敵をかわして次の場所に移動する、というほんのわずかな間の時間がある。相手の手が伸びてきた場合に素早く弾いたりつかんだりすることができるように、両手は完全に下げきって油断したりせず(無造作にブラブラの状態にはしない、ということ)、意識だけでも相手の攻撃をさばくことに備えておく。
前にも後ろにも、そして横からも、複数の人間が様々な角度から攻撃をしてくる。八卦掌の攻防の基本は「斜め」にそれて「横撃攻防」をすることである。横撃攻防で多用される対応行動は身体移動を大前提として、「振り払う」・「おさえつける」・「手を出して攻撃軌道をふさぐ」ことである。
横撃攻防を行うためには、移動遊撃戦の最中、特定の構えをとらないことがもっとも効果的である。「自然体」(に構えていること)こそが、応用性の高い、自由な構えとなる。上・右・左・下にも対応しやすい。
弱者生存の護衛護身武術を極めたい方へ~清王朝末期頃のままの八卦掌「清朝末式八卦掌」を国内で唯一伝える水野先生の道場「八卦掌水式門」入門方法
1.八卦掌水式門~清朝末期成立当時の原初スタイル八卦掌「清朝末式八卦掌」を国内で唯一指導する稀代の八卦掌家・水野先生の道場
八卦掌水式門で八卦掌第7世を掌継させていただいた、掌継人のsと申します(先生の指示で仮称とさせていただきます)。掌継門人の一人として、八卦掌水式門の紹介をしたいと思います。
八卦掌水式門は、清朝末期成立当時のままの原初スタイルの八卦掌「清朝末式八卦掌」を国内で唯一伝える八卦掌専門道場です。「単換掌の術理(単換掌理)」による「弱者使用前提」・「生存第一」の技術体系からぶれず、成立当時の目的を一心に貫く伝統門です。
八卦掌第6世の水野先生の伝える八卦掌は、強者使用前提・対一人・対試合想定の近代格闘術的八卦掌が主流となっている現代において、対多人数移動遊撃戦による弱者使用前提の撤退戦を貫いた極めて異色の存在となっています。
先生の伝える八卦掌の最大の特徴は、「単換掌の術理(水式門で先生は、「単換掌理・たんかんしょうり」と略して指導しています)」に徹している点です。
「単換掌の術理」とは、敵と接触を極力さけ、敵の力とぶつからない斜め後方へスライド移動しながら対敵対応をする、「相手次第」を排し「自分次第」にシフトした術理です。
間合いを取り、敵と力がぶつからない場所へ移動しながら「去り打ち」することを正当な戦法としているため、女性やお子さん・お年を召した方にとって極めて現実的な護身術となっています(※よって水式門では、私を含め、女性の修了者さんが多いです)。
単換掌の術理を理解するには、修行の初期段階に、術理に熟練した指導者による対面での練習を通して対敵イメージをしっかりと構築することが必要不可欠、だと先生は言います。
『八卦掌は「勢(せい)」が命の武術。前に向かってひたすら進み続けることで勢を維持せよ。後ろ敵は勢があれば追いつけない。横敵には単換掌の術理・斜め後方スライドで対応せよ。電撃奇襲をすることで、守るべき人に手を出させない、囮(おとり)護衛による中国産護衛護身武術なんだ』は先生の「口癖」化した説明ですね。
相手の侵入してくる角度や強度、そして敵動作に対する自分の身体の使い方を、先生の技を受け、または先生を試し打ちをしながら自ら身体を動かして学んでいきます。 先生は、「私の技を受けるのが最も上達する近道となる。しっかりと見てイメージを作り、独り練習の際、そのイメージを真似するんだぞ。」と語り、常に相手になってくれます。 それは初心者には果たせない役割。水式門では、先生はいつでも技を示してくれます。相手もしてくれるし、新しい技を指導するとき、使い方もしっかりと見せてくれるから、一人の練習の時でも、イメージが残るのです。
よって最初から全く一人で行うことは、リアルな敵のイメージが分からない点から、大変難しいものとなります。この問題は、私がこの場で、先生の指導を受けたほうがといいと強くすすめる理由となっています。
私も石川県在住時は遠隔地門下生でした。先生が富山に来たときは、集中的に相手になってもらいました。石川県という遠くであっても、先生の教え方のおかげで、ブレずにここまで来ることができました。
単換掌の術理に基づいた弱者生存第一の八卦掌を指導する八卦掌の教室は、日本国内では水式門だけです(それか、公にしていません)。
弱者使用前提がゆえの現実的方法で自分を守る武術に興味がある方。力任せの攻撃にも負けない護身術や八卦掌を極めたいと思う方は、水式門の扉を叩いてください。水式門なら、弱者が生き残る可能性を生じさせる八卦掌中核技術を、明快に学ぶことができます。
2.八卦掌水式門は、仮入門制の有る純然たる「伝統門」道場
八卦掌水式門は、代表である水野先生が、八卦掌第5世(梁派八卦掌第4世伝人)である師より指導許可を受けて門を開いた、純然たる「伝統門」です。それゆえ、入門資格を満たしているかを判断する仮入門制(仮入門期間中の人柄・態度を見て本入門を判断する制度)を、入門希望者すべての方に例外なく適用しています。もちろん私も仮入門期間を経て本入門しました。
水野先生が指導する八卦掌は、綺麗ごとのない護衛護身武術。一部に当然殺傷技法が伝えられ、昔の中国拳法と同じく実戦色が強い八卦掌。誰それ構わず指導することはいたしません。
特に先生は、拳法を始めた動機も真剣。他者への思いやりに欠ける人間に伝えてしまい、それで人が傷つけられてしまう事態を招くことを、心から心配しています。
よって各科に掲載された「入門資格」を満たした人間だと判断した場合にのみ、先生は本入門を認め、受け継いだ技法をお伝えしています。「八卦掌の伝統門として、門が負うべき当然の義務と配慮」。これも先生が常に話す口癖ですね。
水式門には『弱者生存の理で貫かれた護衛護身術「八卦掌」を日本全国各所に広め、誰もが、大切な人・自分を守る技術を学ぶことができる環境を創る』という揺るぎない理念があります。
先ほども触れたように、他者への思いやりに欠ける人間に伝えてしまうことは、技法が濫用され第三者が傷つく事態を招き、理念実現に真っ向から反する結果を生んでしまいます。
水野先生は、門入口を無条件に開放して指導し門を大きくすることより、たとえ仮入門制を設けて応募を敬遠されたとしても、他者への思いやりに欠ける人間に伝えてしまう事態を避けることを重視しています。
ここまで書くと、なかなか入ることのできない難しい道場だと思うかもしれませんが、そんなことはありません。仮入門制はありますが、一般的な常識と礼節、思いやりがあれば、心配する必要は全くありません。
指導を受けてみれば分かるのですが、先生はいつも、門下生のことを考え、熱心に指導してくれ、怒鳴ったりもなく、笑顔です。安心してください(無礼な態度や乱暴なふるまいには、ベテラン・初心者関係なく厳しいですが)。
仮入門期間を経て本入門となった正式門下生には、「誰もが大切な人、自分を守ることができる清朝末式八卦掌」の全てを、丁寧に、熱心に、真剣に教えてくれます。
迷ってるあなた。水式門には、積み重ねるならば、弱者と言われる者でも高みに達することができるシンプルで明快な技術体系があります。先生の温かく熱心な指導で、「守る」強さを手にしてみませんか。