はじめに。あなたは体力・体格で人に勝つことができますか?できないから、「転掌」を知って欲しい。

冒頭の問いかけをなぜしたか。その理由は、今から話す内容を聞けば分かるであろう。弱者が護衛と護身を果たすために最も重要なものをここで明かすからである。
弱者護身・弱者護衛の技術体系で最も大事なことは、「勢(せい)」の維持であった。中国の兵は、近隣諸外国の兵に比べ、身体柔弱であった。それゆえ、中国王朝が大概遠征を実行する世界帝国の時代になった後に成立した戦場武術は、皆機動力をを重視した。機動力重視とは、「勢」の維持のことである。
「転掌」創始者・董海川師は、宦官(かんがん)であった。宦官とは、去勢された男性官吏である。男性ホルモンが減り、去勢手術の術後経過により、体力は衰えた。強者使用前提の武術は使うことができない。董海川師は、古来の中国兵の機動力に着手し、宦官でも護衛を果たすことができる武術を創ったのである。それが「転掌」である。つまり「転掌」において、「勢」は、外すことのできない唯一無二の要素だったのである。
「勢」があることで、移動遊撃戦を展開することができ、対多人数の不利な戦局で遭っても、一定時間生存できおとり護衛が可能となる。
「勢」があることで、電撃奇襲があり、敵が多人数であっても、全ての敵を自分に引き付けることができる。
「勢」があることで、強者の前に立ち止まる必要がなく力任せの攻撃を受けにくくなる。
つまり、「転掌」は「勢」と運命共同体の武術でなのである。「転掌式八卦掌」も、弱者使用前提の原則から離れていない。弱者使用前提武術にとって、「勢」は欠かすことのできない要素である。よってこの「勢」至上主義は、転掌式八卦掌でも貫かれている。
現代では多くの道場・指導者がそれぞれの立場・主義をもとに「八卦掌は○○が大事」と語る。そこで多く取り上げられるのが「螺旋」や「変則攻撃」・「変幻自在の歩法」などである。
これらは、「転掌」と「転掌式八卦掌」には当てはまらない。
「螺旋」などの、敵の手元で対処するような技術は、移動遊撃戦スタイルを捨て、対一人・他流試合での勝利想定の近代格闘術八卦掌となっていく過程で重要とされた要素なのである。この八卦掌の使用者の前提は、屈強な男性修行者へと変わった。
あなたは体格に恵まれていますか?もしあなたが、身体的優位さで勝利を得ることができるなら、このページの内容は、あなたの心に響かないでしょう。しかしあなたが、身体的に自信がなかったり、もしくは女性・子供であるならば、希望を持つことができる内容になるはずである。
本ぺージでは、転掌と転掌式八卦掌における最重要要素たる「勢」を維持する方法の視点、「勢」を利用して対多人数・対強者・対武器戦において生存の可能性を生じさせるかの視点、「勢」が護衛武術として欠かすことができないのはなぜかの視点で、戦闘理論を説明していきたい。
はじめに。あなたは体力・体格で人に勝つことができますか?できないから、「転掌」を知って欲しい。
「転掌」は『宦官や女官でも「対多人数・対強者・対武器」戦で王族を護衛しうる武術』を売りにして成立し、認められた護衛武術だった
「対多人数・対強者・対武器」戦を生き抜く要素として『勢』を採用する
『単換掌』は、対多人数移動遊撃戦渦中において、『勢』を維持したまま対処する最も基本的な対処法
護衛武術として成り立つための『勢掌の術理』~勢を利用した電撃奇襲戦で、要人に手を出させない術理

「転掌」は『宦官や女官でも「対多人数・対強者・対武器」戦で王族を護衛しうる武術』を売りにして成立し、認められた護衛武術だった
「勢」頼みの弱者使用前提スタイルは、清朝王族に認められるためのスタイルだった
八卦掌の成立当時の名は、「転掌(てんしょう)」と呼ばれていた。移動遊撃戦渦中において、敵に対する攻撃方法(対敵身法)が、身を転じながら攻撃する方法を採ったから名付けられたのではないかと考えられる。
「転掌」という武術の目的は、対多人数・対強者・対武器の圧倒的不利な状況でも、一定時間我が身を守って囮(おとり)となり、守るべき人(清朝王族・王族寵姫)を守る、というもの。そして使用者は、あくまで宦官、女官、宮女であることを想定していた。
清末当時~民国初期に名を上げた武術は、「屈強な男性や、日常内で戦うことが想定される男性が、敵に向き合い、鍛えぬいた技法や筋力で戦うもの」であることが一般的であった。
八卦掌は、当時の武術としては異例中の異例として、宦官や女官などの、体格・筋力不利者でも護衛できる武術として生まれた。
それは、宦官となった創始者・董海川先生による思惑・野心が含まれていたと思われる。
女官、宮女、宦官でも使用でき、かつそれが護衛術としても成り立つ武術であるなら、宮中内ご用達武術として採用される可能性がある。清朝王族の親王府で認められることは、当時では大きな権威付けにつながったのである。
特定民族支配時代の厳格な身分制社会が生み出した、身分の低い者による悲壮なおとり護衛武術
宮中内で官吏たちが練習する武術となれば、その創始者たる董先生は、宮中内武術教官として抜擢されることになる。清朝王族に認められ、名門一族の粛親王府にて武術教官となるのは、大きな出世を意味する。
去勢(きょせい)された男性官吏たる宦官(かんがん)は身分が低く、ともすれば蔑視の対象であった。古来より中国では、宦官と間違われたくなかったから、ひげを生やす習慣もあったくらいだ。
支配階級民族・満州民族からすれば、下層漢民族出身の宦官の命の重さは極めて軽いものであった。おとりによる護衛によってその命が奪われようとも、「変わりはいくらでもいる」のである。
かたや、宦官となる者にも、宮中内に出仕することには大きなメリットもあった。宮中内で立身出世をすれば、低い身分から一発逆転をすることすらできる(中国歴代王朝において、国を亡ぼす原因となった宦官もいるくらいであった。清朝時代は、宦官の横暴を防ぐ措置があったくらいである)。
逆転できないにしても、宮仕えをしている期間中は、食にありつける。実は「食にありつける」だけでも、当時の庶民にとっては大きな魅力であった。
太平天国の争乱期は、庶民を含め多くの命が奪われた動乱の時代。宦官にならず庶民として暮らしていても、いつ何時命を奪われるかわからない時代である。列強の侵略・大都市圏では、多くのアヘン中毒者がかっ歩し、清王朝の権威は失墜していた。地方は太平天国軍の残党や野盗だらけで治安も悪かった。
そこで一部の者は、宦官になってとりあえず食べていくことも考えたはずだ。
宮中に出仕すれば、生活は保証される。もし何かしらの形で名誉・肩書を得れば、後の生活も保証される。護衛の渦中で我が身の命が奪われたとしても、大きな栄誉をたまわり、後に残された家族が生活を保証されるかもしれない。
宦官になることは、去勢手術における落命の危険も含め大きなリスクを伴うが、人によっては、命を賭けるに値する魅力的な立場にも映ったのである。
「おとりによる護衛術」を実現するために一定時間「護身」して時間稼ぎをする。この護身時技術が、護身術に直結する。
創始者の董海川先生は、宮中内にて需要のあるものを生み出し、その先駆者となることで立身出世をする、という可能性に、自身の将来賭けた。
古来より、王族のために護衛者や刺客(暗殺者)となる者は、残された家族の生活が保証され、その家族に栄誉が与えられるのが約束されたうえで、敵の刃を受け、命を落としたのである。
刺客はもっと悲壮である。刺客となれば、ほぼその場で誅殺される。後の孫子の主君となる闔閭(こうりょ)のために、その時の呉王である僚(りょう)を魚腸剣にて暗殺した専諸(せんしょ)がいい例である。専諸は暗殺に成功したが、その場で呉王の側近に殺害された。
刺客や護衛者の末路は、それが一般的であったのだ。おとり護衛などという悲壮な護衛方法は、厳しい身分制社会が生んだ、身分が低い者の採る悲壮な護衛スタイルなのである。
衛者は、敵に対し、正面にて打ち合うことをせず、敵の居ない場所へと移動し続ける。敵の眼前にてとどまるならば、屈強な体格や攻撃力の高い武器によって一瞬で倒され、要人に危険が及ぶ。
移動しつづけ敵をかわしつつ、異常事態を大声にて知らせる。その間、衛者はおとりとなる。そのような官吏が何人もいて、倒される都度、おとりとなるのである。後述する電撃奇襲の法により、おとりらは時に奇襲攻撃をしてくるため、おちおち襲撃予定者を襲うことができない。つまりおとりが生きている以上、刺客はいつまでたっても要人に手を出すことができないのである「転掌」は『宦官や女官でも「対多人数・対強者・対武器」戦で王族を護衛しうる武術』を売りにして成立し、認められた護衛武術。そのうちに、味方の本格的な救援が来て、要人は守られる。
このような要人防衛方法では、衛者の命は奪われることもある。上述した通りである。
その点が、清朝末式八卦掌の極めて現実的で明快な点なのである。女性や宦官などの体格的・筋力的弱者が、実際に要人を守ることを果たすために、最も悲壮な点から目を背けてないのである。
目を背けるならば、今すぐ体得できそうもないような高級な理論を持ち出して、それを会得した暁には実際に護衛し得ると期待させて、王宮の信頼を得、または門弟を集めるのである。この拳法では、自らが犠牲になることありますよ、などと公言しては、人は躊躇する。しかし清末八卦掌は、その点にしっかりと向き合っているのである。
「勢」なくして、対多人数・対強者・対武器戦において生存なし。「勢」なくして八卦掌の発展なし。
宦官であったことと、宮中内で認められるため(需要を得るため)に、自らが以前修めた武術(戦場での刀術)を元に女官・宦官でも使い得る武術を創出した、という説には、それなりの説得力がある。
なぜなら、当時の中国に、ここまで女官や宦官に適した武術など、成立し得ないからである。当時存在していた武術のほぼすべては、屈強な男性向けのものであった。男性向けでなければ、中国国内で需要が無く、門派が繁栄しないからである(家伝で伝えられる武術は別)。
距離をとって護身を図る方法は、以前より戦場における護身の有効な方法であった。しかし、攻撃を犠牲にし、敵に攻撃を「当てる」より「当たらない」を第一とした斜め後方スライド技法で統一するまで生存にこだわっている武術は、他にない。これは、使用する人間が非力であることが前提だった証である。
「宦官、女官、宮女でも王族を守る護衛術として使用可能である」という目を引く特徴を持った宮中内奉仕者向けの護衛武術を創って、それが王族に認められ、宮中内官吏が修めるべき武術として採用されれば、その武術の創始者として武術教官となることができる。これは大きな出世となる。
事実「転掌」は、清朝名門王族たる粛親王府でその実力を認められ、董先生が武術教官となったことを契機に、急速に広まっていく。「転掌」に八卦陰陽理論の理論的後付けがなされ「八卦掌」となり、高級性が付与されるたことが、一層拡散速度を上げた。
「転掌」が世に生まれ、認められ、そして中国全土に広まっていく。その前提として、『対多人数・対強者・対武器の圧倒的不利な状況でも、一定時間我が身を守って囮(おとり)となり、守るべき人(清朝王族・王族寵姫)を守る』という目的は、根本的なものだったのである。
この目的を果たすための最も大切な要素が『勢』なのである。勢がなかったら、対多人数・対強者・対武器戦に対応することができない武術となり、王宮内護衛武術として採用されない。「転掌」はここまで世に広まらず、「八卦掌」という名にすらならなかったのである。
「対多人数・対強者・対武器」戦を生き抜く要素として『勢』を採用する
「勢」なくして、「転掌」を創るにあたり想定した戦いにおける「生存」は無かった
「勢」とは、速さを伴って、高い移動推進力で、進み続けること。また、その勢い。孫子の兵法では、一篇使ってまるまる勢の重要性を説くくらい、古来より中国兵法・軍隊戦術などで重宝されている。
勢無くして、多人数相手に生き残ることはできない。動かぬ的(まと)となったら、あっという間に取り囲まれる。
勢無くして、屈強な男性の力任せの攻撃に対処できない。とどまっていたら、屈強な男性の、力任せの攻撃をその場で受け続けることになる。
勢無くして、武器による斬撃をかわし続けることはできない。勢がなかったら、敵に距離を詰めらえ、切り刻まれる。鎧も武器も持たない宦官や女官は、手先の技術などで刃物の斬撃をかわし続けることなんぞ、できないのである。
「勢」を利用した移動遊撃戦は楽な戦い方ではない。生存の「可能性」が生まれるだけである。
対多人数戦が、こちらにとって極めて不利な戦況である、ということは、常に頭に入れておく必要がある。
昔日の八卦掌の術理、つまり「転掌」の術理を体得して、初めて、対多人数戦において生存の「可能性」が生じるのである。「転掌」の術理をマスターしたから、常に「生存できる」のではない。「転掌」はマジックではないのである。
ならばなぜ、あのような、もっと自らを不利に落とし込むような戦い方をするのか?という意見が出る。敵に追わせ、敵を去りながら打つ「去り打ち」をするのか。
では、敵の眼の前にとどまって攻防をしてみるとよい。筋力・体力等に劣る弱者は、戦闘開始30秒も立たないうちに、力任せの攻撃に屈するだろう。
おおよそ、格闘技をやっているやっていないに関わらず、移動打ちを練習しない者が、初速のトップスピードを維持して動くことができる時間は、30秒である。敵が全力で動くことができるその時間中、少なくとも弱者はずっと、敵攻撃を防がねばならない。
実戦空手で有名な、極真空手の世界では、「5連打」攻撃で、防御技術の高い相手にも、攻撃を当てることができる、という実戦秘訣がある。空手の使い手が5連発を打つのに、10秒もかからない。
つまり、強者たる敵の目の前でとどまるなら、弱者はものの30秒以内に圧倒され敗れ、護身の場では被害者となる。
「転掌」の採る単換掌の術理にて距離と保って何度も攻撃をかわすことで、戦いは長時間となるが、その間は生存し続けることができる。移動遊撃戦に慣れてない敵は、先ほどの、30秒を過ぎたあたりから、戦意に関係なく足が止まり始める。
そこを離脱するのである。持久力は絶対に必要である。次でもう少し、持久力を念頭に置いた戦い方を示す。
「勢」を利用し、弱者が日頃の準備で高めることができる持久力の領域で戦う。一度で一気にけりをつけない。
昔日の帆船同士の戦い方を知っているだろうか?
当時は蒸気やエンジンなどによる自走能力が無く、船は風をとらえ、戦うことを要した。戦闘では、有利な位置とされる「風上」を取ることに多くの時間を費やしたのである。
広い海洋面で互いの艦船が、何時間、いや、何日もかけて、風上を取る「戦い」に時間を費やしたのである。「戦い」は、両者が「激しく大砲で撃ち合」ったり「船を接触させて斬り込み白兵戦に移行する」前から始まっていたのである。
そして、戦いの前振りと思われるこの段階こそ、戦いの帰趨を決したのだ。
「大砲で撃ち破壊する・白兵戦に持ち込む」の選択を自軍の意思のままに敢行するためには、風上に自軍の艦船を置き、近付いたり離れたり、旋回したりと、思いのままに操船することができる条件を得た上で可能となった。
「転掌」の戦いも同じである。「転掌」では、我が進んで敵の前方向かつ敵の存在しない場所に移動する。敵が後方や側面から追撃してくる。我は前をまっすぐ見て勢を維持して進むため追いつけず、側面に出て横から接近する。
これは、戦いを我の意思で誘導しているのである。敵を、移動遊撃戦の渦中に引きずり込んだ状態で、何度も何度も「接近~かわされる」を味わわせる。
この時常に、単換掌の術理たる斜め後方スライドで対処する。「前に進む速度を極力落とさずに斜め後方スライドにてかわし、前方向の敵の居ない場所に再び進み続け・・・」を何度も繰り返し、徐々に敵の体力を奪い、敵の足が止まった時点で、一気にキロメートル単位離脱を敢行する。
一撃で、一発で、一瞬で、敵の追撃を振り切るのではない。何度も繰り返すことで、徐々に敵の攻撃能力(体力・戦闘意志など)を奪うのである。
『単換掌』は、対多人数移動遊撃戦渦中において、『勢』を維持したまま対処する最も基本的な対処法
対多人数移動遊撃戦の渦中において、「勢」の維持が最も危ぶまれる、斜め後方・側面からの敵攻撃に対処する最も基本的な動作が「単換掌」

「転掌」には、様々な技法が存在する。そのもっとも代表的なものが、単換掌である。
実は単換掌(の術理)とは、勢を保って移動している最中、「敵が側面・斜め後方から攻撃してくる」という「勢を頼みにした攻防が最も危ぶまれる時」に、勢を減退させず敵をやりすごすための、最もシンプルで最も典型、かつ考え抜かれた対処法なのである。
この部分を知らない修行者が、圧倒的に多い。単換掌と双換掌以外は全て変化型であると考えてもよい。
ほとんど多くの修行者は、その点を理解していない指導者の話を信じて、単換掌の深い意味までも考えることなく、単換掌をさっさと終わらせ、他の型、それも長い連続型(套路・とうろ)の練習ばかりをしている。
これは、原則を深め理解することをしないで、その派生部分ばかりを経験しているのと同じである。経験だけでは使うことができない。身につけ、体得し、無意識の中でも繰り出すことができるようにするべきである。一部の指導者はただちに、単換掌をもっともっと煮詰める指導にシフトした方がよいだろう。
単換掌を洗練させる作業は、大変時間がかかる。動作は簡単だが、練習すればするほど、己の対敵感覚の上達に伴い、より一層洗練しうるパターン・コツが見えてくる。私自身、未だに、一日2時間以上も、単換掌の術理に時間を割く。
ゆえに「八卦掌水式館」では、単換掌と双換掌の修行に、多くの時間を費やす。繰り返すが、「転掌」における他の転掌式も、梁派伝八卦掌の老八掌の技も、単換掌・双換掌の変化型だからである。
各種武器も「単換掌の術理」である斜め後方スライド対敵身法によって行う
実は、各種武器術も、単換掌・双換掌の術理を用いて行う。そして、練習する基本型も、八卦掌各派の定式八掌とほぼ同じである。水式館が伝承する武器術は、転掌刀・遊身大刀術・双身槍術・双短棒(双匕首)・連身藤牌術、と五種類ある。
数は多いが、すべて、単換掌・双換掌にて修めた術理を用いるため、思ったほど習熟させるのに時間はかからない。以下は転掌刀の型と徒手との比較である。
- 按刀(あんとう)・・・「単換掌」「フ掌」「展掌」「推掌」
- 陰陽上斬刀(いんようじょうざんとう)・・・「単換掌」「双換掌」「フ掌」「蓋掌」「叉掌」
- 上翻サイ刀(じょうほんさいとう)・・・「双換掌」「フ掌」「蓋掌」
- 撩陰刀(りょういんとう)・・・「単換掌」「双換掌」「撩掌」「蓋掌」
- 背身刀(はいしんとう)・・・「単換掌」「双換掌」「展掌」
武器術は、双換掌(もしくは陰陽魚掌)にて学ぶ『敵に一瞬背を向ける(外転翻身)斜め後方スライド』の術理を使用する比率が高い。実は、双換掌の方が武器術理の原型である。徒手技法における原型が単換掌、ともいうことができるが、やはり原則は単換掌の斜め後方スライド対敵身法なのである。
※徒手時は、武器所持時に比べ手返しよく手を出すことができるため、割と動作の小さい単換掌が成立し、洗練され、一大基本にまで成長した。
対多人数移動遊撃戦渦中における単換掌の使い方を知ることが「転掌」の戦闘理論を知ることになる
単換掌の斜め後方スライドは、前に進んでいる最中における横・斜め後方からの敵に、大きな効果を発揮する。
双換掌もしくは主要転掌式たる「フ掌転掌式」「蓋掌転掌式」で学ぶ、『敵に一瞬背を向ける(外転翻身)斜め後方スライド』を組み合わせることにより、全方向の敵の急接近をかわすことが可能となる(真後ろの敵は、勢を利用した前方向への移動で対処できる)。
敵の眼の前にとどまらず、勢を保ち移動し続けることで敵を後方に引き連れ、視界に入ってきた敵にのみ斜め後方スライドで対応する単換掌の術理の習得が最優先である。
護衛武術として成り立つための『勢掌の術理』~勢を利用した電撃奇襲戦で、要人に手を出させない術理
しかし対多人数移動遊撃戦時には、前方向に敵も現れる。その弱点を克服するために、前敵に対する対処法が考えられた。
あと、斜め後方スライドばかりで移動し続けていると、複数人の敵は「逃げてるだけ」と勘ぐり、要人の方に攻撃照準を合わせようとする。
複数人の敵に、常に自分に意識を向けさせるために、遊撃戦渦中における要所要所で、電撃奇襲攻撃をして敵に脅威を与え続ける必要がある。そこで勢掌の術理たる、前敵スライド回避攻撃の対敵身法を使う。
これは、斜め後方スライドを、前方向へと応用するのだ。
前敵スライド回避攻撃。この順序が大切である。
多くの修行者は、前敵に、攻撃~スライド~回避、の順で向かう。これでは、攻撃を先にしている時点で、敵と力がまともにぶつかり、勢が削がれ、そこで移動速度が落ち、周囲の敵に捕捉される。
攻撃から先に入らないことである。まず「スライド」なのだ。少しでもスライドしながら入るのだ。そうすることで、勢を保つことができる。勢さえ保っていれば、前敵や後方から迫る敵に捕捉されない。
しつこく言う。あくまで前敵には「スライド~回避~攻撃」なのである。弊門で指導する前敵に対する型「単招式」は、すべてこの順序である。よく見直して欲しい。明日の練習から、もう一度意識しなおして欲しい。先にスライドすることでまず移動による防御をして回避しつつ、そのうえで去り際に手を出す(攻撃する)のである。
改めて私の動画を見て欲しい。動かない的を攻撃している、などと的外れな指摘をしている時点で、その人間は「転掌」の術理を全く知らないと自ら言っているようなものだ。着眼点がずれている。「転掌」を理解している人間ならば、前敵移動攻撃の中にも、スライド移動の術理を見い出す。
ほんのわずかだが、スライドして回避し、そして手を去り際にスッと出す。だから、敵の頸部後方に手が当たるのである。この術理も、勢を利用した対処法である。「勢掌の術理」。前敵スライド回避攻撃の対敵身法である。
「転掌」「転掌式八卦掌」が「勢」を重視するのをわかっていただけたであろうか。「戦闘理論」などと書いたが、難しいことはない。力がぶつからない状態での攻防なのである。この点こそが「転掌」であり、弱者使用前提武術であるための、欠かすことのできない要点なのである。
八卦掌水式館 館長・転掌八卦門 開祖 水野義人のプロフィール

水野義人(活動名:水野式人)
八卦掌水式館館長。八卦掌第6世。楊家伝転掌第8世掌継人。転掌八卦門開祖。弱者生存の理「単換掌の術理」を用い移動遊撃戦で戦うことを特色とする、清朝末期頃成立当時のままの八卦掌原型武術「転掌」を、世界で唯一公に伝える、転掌グランド・マスター。
転掌八卦門の開祖である館長の、転掌マスター養成ブログ更新中。転掌・八卦掌修行者のみならず、すべての武術において達人となることを夢みる方に有益な、館長の語録を随時更新中。
「転掌マスターへの道~転掌八卦門開祖・水野の達人養成ブログ」へ








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