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八卦掌三十六歌(三十六歌訣):歌一

八卦掌三十六歌:歌一は、八卦掌を鍛錬するうえでの最も基本的で最も重要な身体的要求である。この要求は、走圏の要領も兼ねる。

八卦掌の上達を志す者は、歌一に示される身体上の要求を、走圏において意識して徹底的に反復練習し、身体に染み込ませる必要がある。それが上達の最も早い道である。

「八卦掌三十六歌(三十六歌訣):歌一」の和訳

空胸拔顶下塌腰,扭步合膝抓地牢。

Kōng xiōng bá dǐng xià tā yāo, niǔ bù gé xī zhuā dì láo.

胸前は空にし頭を引き上げ腰を下げくぼませ、歩みを転じるときは膝を合わせ地面をしっかりとつかむ。

沉肩坠肘伸前掌,二目须冲虎口瞧。

Chén jiān zhuì zhǒu shēn qián zhǎng, èr mù xū chōng hǔ kǒu qiáo.

肩を落とし、肘を落とし前の手の掌を伸ばし、両目は虎口を通して見る必要がある。

「八卦掌三十六歌(三十六歌訣):歌一」の解説

空胸

「空胸」は定式八掌の第一掌たる「下搨掌」で練習するのが一般的

 歌一では「空胸」と書かれているが、程派・尹派を含む他門派の中国拳法の理論書の中には、「涵胸:hanxiong」(含胸)と書かれている場合が多いようだ。

 胸の前には、当然のことながら何かあるわけではないが、八卦掌においては、基本姿勢において「空胸」の姿勢を求めている。

 「空胸」の姿勢は、定式八掌の第一の姿勢である「下搨掌」によって練習するのがやりやすく、一般的である。しかし初学のうちは、下搨掌で空胸の姿勢を維持することも至難の業である。八卦掌成立時から文化大革命くらいまでは、初学時この下搨掌だけを練習するのみである門下が当たり前に存在した。

 繰り返すが、空胸を学ぶには、下搨掌を通して学んだ方が定式八掌中の他の姿勢で学ぶよりも分かりやすく、かつ初学者にも負担が少ない。ここでは、「空胸」を学ぶために役立つ解説をしたい。

「空胸」はどのようにしたらできるか

 「空胸」の姿勢を作るための要訣として、多くの門派においては「涵胸拔背:hanxiongbabei」(含胸抜背)を説く。我が梁派の先代師の一人である李子鳴先生は、「拔背」を「緊背」と表現して空胸の状態を説明なされた。【「老八掌」p38:李子鳴著】

 「緊背」と言われると、背中を緊張させる、背中に力を込める、というようなイメージが湧く。しかしここでは、腕・手首とねじっていき、胸の前で指先を互い合わせにして、指先に力を入れて反り返るくらい目いっぱい伸ばす、という走圏における要求を実現するために、背中を左右に広げることを、「緊背」と表現する。背中を左右に広げると、背中が張って充実する。その充実した状態を「緊背」と表現されたのである。

 具体的に言うと、背中を起点にして胸の前で両腕を内側にねじって両手の指先を互いに向き合わせる姿勢要求を実現するために、まず背中を左右に広げ、背中⇒腕と内にねじり、最後に両手を向き合わせる。その姿勢における背中の丸く張った状態が、そうでない状態に比して意識の通った充実した状態(実の状態)であるため、「緊背」という説明がなされた、ということである。

 「含胸抜背」は、内家拳(形意拳・太極拳など)においては、最も重視される姿勢である。それは八卦掌でも同じことである。それゆえ、修行の一番初めから学び、生涯の修行においてずっと取り組み続ける。著名な八卦掌家は、そのほとんどが「空胸」を得るための代表的練習たる「走圏」をことのほか重視している。先代の著名な八卦掌家は、その生涯において走圏の練習を怠らなかったと伝えられる。

坺顶

八卦掌が「坺顶」を要求する理由

 「坺顶」は、多くの他の拳法(特に内家拳と呼ばれている部類の拳法)で登場する身体的要求である。

 歴代八卦掌家の一人であり、先師である李子鳴先生は、著書「老八掌」の中で「拔顶」することによって得られるものを複数挙げている。以下に記す。

  • (1)活力を奮い起こすことができる
  • (2)生き生きとした顔色を保つことができる
  • (3)両目眼光の切っ先を四方に放射させることができる
  • (4)体つきもしっかりとまっすぐに保つことができる

 自身の対複数戦(1対2)における経験によると、(3)・(4)ができることは、危機回避をするうえで欠かすことができない。複数戦においては、何より相手の攻撃を喰らわないことが最重要である。

 振り向きざまの攻撃も、ヒットアンドアウェイの戦法も、複数いる敵から攻撃をもらわないための手段である。振り向きざまの攻撃で相手に効果的な抑止を効かせるためには、放射上に見すえる視線と、安定した頭部が欠かせない。

 頭部がまっすぐでなかったり、ふらふらと落ち着かないと、整合性の取れた纏(まと)まった動きがしづらくなる。八卦掌の一大特色たる「遊撃戦」、それを支える運足しながらの攻撃・防御・退避・接近・方向転換の諸動作は、この「坺顶」の意識でつちかった移動の感覚なくして再現困難である。

「坺顶」はどのようにしたらできるか

 「坺顶」をするための要訣は「虚領頂勁(きょれいちょうけい)」である。「虚領頂勁」は「頭懸」(頭を吊るす)とも呼ばれる。

 「虚領頂勁」とは、頸部をリラックスして虚にし頭部に気力を見たし実にすること、である。わかりやすい言い換えをすれば、あごを引き、頭頂部から何か紐で引っ張られ、頭を吊るしているような意識を持つことである。

 これもまた、下搨掌で行う走圏において重点的に練習するものである。

下搨腰

「下搨腰」とは、腰を下方向へしずめることである。

鶏腿の形をとり、その上に腰をおく。イメージとして、やや足の長い椅子(食堂のカウンター席にあるような立ちの高い椅子)に腰を下ろすイメージである。

実際に立ちの高い椅子に座ってみて欲しいのだが、立ちの高い椅子に腰を下ろす際は、腰の力が緩まる。その緩んだ感覚で立つ。

扭步

「扭步」とは、二つの脚を体の前方箇所でかぶせることである。わかりやすくいうと、走圏の際、円の外側の脚を進める時、わずかに円の中心方向に向けてかぶせるように進め、着地することである。

この進め方は、八卦掌の代表的な歩法である「扣歩」である。扣歩は、単繰手の練習など単式練習の際や老八掌の練習の際は、かなり内に切り込んでかぶせることが多いが、走圏の際はわずか内側にかぶせることになる。

内にかぶせる角度はどれくらいがいいだろうか?走圏の際は、八歩で円を一周することが初学の段階では求められることが多い。内にかぶせる角度が大きいと、五・六歩くらいで回ってしまうため、その角度は実際には、わずか(鋭角10度くらい)である(上盤高速走圏の際は、内側の脚もまっすぐではなくわずかに円の内側に開くため≪ハイ歩≫、より一層かぶせる角度は小さくなる)。

搿膝

足を前に送る場合の要点について説明している。膝の動かし方のついて説明することで、歩行時の運足技術を具体的に示している。

足を前に進める時は、「寄せる」という意識ではなく、右膝と左膝が互いに交わるような感覚で近づけ、通過させていく。

右膝と左膝の間に、薄い紙があって、それを両膝でつかみながら足を交互に出していく、という感じであると想像しやすい。

「搿」は、「ちからいっぱい抱きしめる」という意味があり、両膝が抱きしめ合うくらい密接させながら通過させよ、を意図してこの言葉が用いられていると考えられる。

抓地牢

 「抓地牢」とは、上げた足を下ろす際のポイントを示している。足を上げ、その上げた足を地面に下ろす際、足の指が地面をとらえている(つかんでいる)ことが必要である。もしくは地面をつかむような気持ちで着地するよう心掛ける。

そうすることで、移動の際においてどちらかの足が地面に接地していさえすれば「実」の状態を保つことができるのである。ここでいう「実」の状態とは、力や姿勢の安定性が保たれており、いつでも思いのままに身体を操作できる状態である。変形的な姿勢であっても、足まわりがしっかりと姿勢を保っている状態である以上、その状態からいくらでも思いの通りに姿勢を変え、方向転換し、もしくは安定した姿勢に移行できる。

 「抓地牢」は、遊撃戦・移動戦において、我の姿勢を保って安定・安心、それらをもって安全を得るための大きな要である。

よって八卦掌においては、つま先を軸に回転したりするような動作(例:駒のように回転する動作)を採らない。方向転換においては、ほとんどの場合において、扣歩・はい歩のセットをもって方向を転換する。もちろん回転によって方向転換する動作をする型も存在する。そのようにして回転する方が戦闘上望ましい場合はそうする。しかしそれは圧倒的少数の例である。