
八卦掌水式館について
八卦掌水式館の歴史(沿革)
2002年 一番弟子・現在筆頭門弟と共に、八卦掌水式塾を創始。
2019年 梁派八卦掌門からの離脱を機に、八卦掌水式門へと名称を改称。
2024年 北陸金沢へ本部を移転することにより、八卦掌水式館へと名称を変更。
2025年 転掌の伝承門として、「転掌八卦門」を開く。運営母体は八卦掌水式館とする。
なぜ八卦掌水式館では、館長が修めた梁振圃伝八卦掌を指導しないのか?
指導許可を取り消されたから。梁派が強くないから。両方とも違います。
一度指導の許可を得た者は、例え師の意向による翻意であっても、その許可は取り消されることがあってはなりません。これは、人生の貴重な時間を修行に費やした弟子への最大の侮辱です。
梁派は、多くの名手を生んだ名門です。歴代拳師には、名実ともに達人と呼ばれた者がたくさん輩出されています。真実でない、弱い、などということは断じてないでしょう。
ではなぜ教えないのでしょうか。実戦においてとるにたらない「正当性」にこだわる者が多い日本人の中にも、習いたがる変わり者も多く居るのに。
それは、館長のポリシーによります。館長は、身を守る技術、そして大切な人を守る技術として教えたいからなのです。梁派八卦掌は、その技術体系としてふさわしくないと館長が判断したから教えないのです。整理して言い換えるならば、以下の理由からです。
- 弱者たる者に、護身術・護衛術として指導したいから。
- 習得までに時間がかかるから。
- 習得しても「相手次第」であるため、勝ったり負けたりするので、護身術として最適でないと考えたから。
先ほども触れたが、梁派八卦掌は、多くの高手を生み出した名門であり、その技術が価値がないなんてことは、決してありません。
その技術体系に、館長は限界を感じたのです。強者であるならばいい。そして強者になる時間がたっぷりとあるならいい。しかし館長は、今そこにある危機に対応することを強いられている、身体柔弱なる者・・・つまり「弱者」に護身術・護衛術を教えたいと願い、水式館を立ち上げたのです。
梁派は当然、弱者でも始めることができます。しかしその弱者が強者の暴力から身を守るために、自分自身が強者になる必要があります。自分を襲ってくる者とは、おおかた強者です。自分より体格が大きい。自分より筋力がある。(女性であるならば)男性。(老人・子供であるならば)身体の動く若者。
弱者がそのような者たちの、理性のブレーキを失った暴力から我が身を守るためには、何かしらの技術が必要となります。
梁派は、技術によって強者の攻撃をしのぎ、技術によって強者を倒す道を選びました。敵の眼の前から我が身を完全に逃がす道を採らなかったのです。最後は「倒す」ための攻撃のために、我が身を敵の前に留めさせるのです。そのために、梁派を志す者は、弱者で在り続けていてはならないのです。
梁派の修行者は、強者になる必要があります。梁派の指導者レベルになった者として言わせてもらうならば、手元の高度な技術である、螺旋功・浸透勁・発勁などを理解し、習得しなければなりません。これらの、難易度が高く、かつ容易に教えてもらうことができない技法に頼ります。それらの技術を、師から学ぶ段階に至るまでにも多くの時間がかかってしまうでしょう。
護身術を志す者は、今そこに脅威があるから、志すのです。強くなるために必要な時間はないのです。
梁派が成立し、梁派門が発展したころから、目的が大きく変わりました。他門派との手合わせで、その強さを見せつけることが大きな目的となったのです。当時の手合わせであれば、命の危険もあったでしょうが、強者が弱者を食い物にする、転掌の想定した「実戦」とは違うのです。
同じ体格の者同士・同じ技量程度の者同士が、互いの暗黙の約束のうえで、交流という名の手合わせを行いました。公式の試合も、このころから発生し始めました。試合であれば、審判が存在し、試合の形式が確立されていけば、厳格な階級制が生まれ、体格差も問題とならなくなるのです。
このように「試合」は、命を守るために戦う「実戦」とは全く違うのです。試合・他門派との手合わせで勝つことを至上命題とした近代梁派八卦掌では、護身術として最適でないことは容易にわかるでしょう。
護身術の条件は
「相手次第」ではなく「自分次第」の技術体系であること
の一択だと館長は言います。
なぜなら、勝ったり負けたりしていては、護身術として成り立たないからです。多くの道場が、「勝つ」ことではなく「負けない」ことを目指す護身術といいながら、我が身を最も危険な領域である「敵前」から逃がすことを教えません。「倒す」から「負けない」への目的の変更はいいのだが、目的を変更しただけで止まっているのです。
では、近代八卦掌で「自分次第」することはできないのだろうか?そんなことはありません。近代八卦掌でも「自分次第」を実現できます。それは、近代八卦掌が指導する、敵の力をやり過ごすための高度な技法を完璧に実現すること。
だから近代八卦掌は、エリートの拳法なのです。一部の、指導者レベルに達するほども者でしか、使いこなすことができない。館長はいいます。『あれだけ練習しても「自分次第」へとシフトさせることができなかった自分は、人を、限られた時間の中で「自分次第」への領域まで導く自信がない』と。
転掌八卦門について
成立当時の八卦掌は、八卦陰陽理論などの理論的骨組みはなく、その名称も「転掌」と呼ばれていました。
よって、技の構成についても、「八」という数字に縛られることはなかったのです。基本技は、単換掌・双換掌・勢掌の3つのみであった。これら3つの基本技を構成する術理を用いて、刀・長棒・双短棒(双匕首)・藤牌を操る簡素な修行体系である。武器術に新たな套路(複合型)があるわけではなかったのです。
創始者・董海川先生に教わった初期弟子が、中国各地に移動した際、そのうちの一人が福建省にて八卦掌の形で伝えたのが、転掌門八卦掌です。斜め後方スライドを一大特徴とする成立当時のままの「転掌」技法を、転掌門八卦掌の開祖は厳しく守らせました。そこから八卦掌水式館の水野に伝わったのです。

螺旋等の繊細な技法で対抗する近代八卦掌の技法が国内外を問わず伝承されている中で、斜め後方スライド撤退戦による移動遊撃戦を特徴とする転掌技法に気づくことは、水野一人では到底無理でありました。伝承していただいた楊師の熱意と恩恵は、成立当時の技法が現代に復活するうえでの一筋の光となり、水野が技法を確立する上での灯台的役割を果たしました。
現在中国国内で著名老師が著す八卦掌関連の教書は、閲覧できる限りのほぼ全てが、強者使用前提・対他流試合・対一人想定の、近代格闘術八卦掌を指導するものです。文献によって、斜め後方スライドの技術体系をもつ八卦掌を証するのはほぼ不可能となっているのです。
代表・水野は、近代格闘術化した八卦掌(梁派)の指導許可を得た立場でもありますが、十代初期に楊師により伝授された、斜め後方スライド技法の転掌式八卦掌を追求するため、梁派の伝承者の道を自体しました。転掌は現在文献に残っておらず、失伝の危機に陥っています。この状態を受け、成立当時のままの転掌技法を再興し、伝承することを決意したのです。
水式館で示す歴史と技術体系は、水野が、単換掌・双換掌・勢掌と武器術などを、膨大な時間をかけて修行し、身体を通して理解した「気づき」のみをもとに、たどりついたものです。先ほども触れたように、中国国内には、成立当時の姿を示す資料はないため、己の身体による試行錯誤の末に得た「気づき」のみが、証となり、資料となっています。
清末弱者使用前提の技法による転掌門八卦掌については、どの開祖にもひけを取らない情熱と時間をもって、考察しました。その内容は、多角的な角度から何度も考察されたものです。その点を念頭に置き清末転掌式八卦掌の技法に触れてもらいたいと思います。
転掌八卦門の護衛技術~技術レベルによる段階
初歩はあくまで、マクロスライドを利用した対多人数想定の移動遊撃戦
対複数と書くと、とても上級技術であるような感じを受けます。しかし転掌においては、「対多人数想定の移動遊撃戦」を初歩の護衛段階ととらえ、この段階の練習において、転掌独特の護衛技術を養うのです。
つまり、その先にもっと上級レベルの技術が待っているのです。それは熟練襲撃者(エキスパート)との戦を想定した「並走スライド変則撤退戦」です。並走スライド変則撤退戦。これが転掌(楊家転掌門八卦掌)の目指すべき最終段階となります。
並走スライド。敵の突進に対し、並走スライド(一緒に下がりながら)しながら戦うのでしょうか。確かにそれも行います。しかしどちらが前に出るか、どちらが先行するかは、その時の状況によって変わります。必ずしも、私たちが敵に追われている立場であることはないのです。
最初は敵の突進で、自分が下がることが多い。しかし自分が少しの時間(5~10秒ほど)下がり続けると、たいていの敵は追ってこなくなります。追う技術がないから、その場にとどまるのです。まれに追ってくる敵がいますが、ほどなく追うことを中断します。追い「続ける」技術を練習しないから、追わないのです。そして移動しながら攻撃する技術も無いので、とどまって戦うスタイルに戻るのです。だから変則撤退戦では、自分が攻勢に転じる場合の方が多くなります。

対多人数移動遊撃戦渦中において、転掌は、追いかけてくる敵には、倒すための攻撃は(ほとんど)しません。しかし振り向き様に前方にいる敵には、倒す気を込めた一打を放ちます。勢掌理によった各種技(遊歩連穿など)です。
ある意味、逆転の発想となるでしょう。後ろから来る敵をやり過ごしながら、前敵に我の攻撃を当てる瞬間を待つのです。そしてその「待ち」は、移動遊撃戦の渦中に突然やってくる。突然やって来るのも、想定内なのです。だから移動中、敵を探すための頭の向きの変換は、行いません。移動中に、射程圏内に入った敵のみ対応するのです。頭の向きを変えないことで、移動速度の速い状態を維持でき、かつ体軸も安定します。
片や、並走スライド変則撤退戦は、主にエキスパートとの対一人戦想定のため、振り向き様に他の敵がいるわけではありません。しかし今まさに攻撃してくる敵は、自分のそばに存在している想定。そこで、並走スライドしながら身をひるがえし、新たな侵入角度から、自分が突然攻勢に転じる。つまり攻める側に転じるのです。
さきほどまで敵の攻撃を前に移動しながらやり過ごしていた弱い敵が、いきなり旋回行動の渦中から攻撃に転じてくるのです。追撃戦の最中、敵は自然と無意識に、「目の前で逃げ回っている敵が攻撃してくることなどない」という気持ちになっています。要は、おびき寄せられ、追撃の慣性にどっぷりはまった「方向転換のしにくくなった状態」の中で、急襲されることになるのです。
転掌の有利さはここにあります。転掌刀術と通常の刀術が組手をすると、斜め後方スライドする転掌刀術側を、通常刀術側が追いかけようして前に出た瞬間、去り斬り攻撃の餌食になるのです。
前に出て攻撃を当てようとする通常刀術側には、追撃の慣性がかかっているため、突如飛んでくる去り斬りを避けることができないのです。相手の手の内を知っている場合であっても避けるのが難しいこの戦法的な罠は、初見の敵であれば、何も考えずに無意識に追撃してしまうのだから、ほぼ去り斬りの餌食を確定させます。
並走スライド変則撤退戦も一瞬でケリがつかない。その戦いの中で、敵も警戒してその場に止まることがある。その時こそ、自分は間髪を入れず敵に襲い掛かるのです。水式館の塾連掌継人の中には、敵に背を向けた移動から、旋回転身攻撃を得意とする者がたくさんいます。
並走スライド変則撤退戦は、高度の間合い感覚が必要となります。離れすぎてもいけない。離れ過ぎたら、敵は要人方向に向きを変え、襲い掛かります。近すぎたら、自分が攻撃をくらってしまいます。つまり、敵の攻撃は当たらないが、思い立ったらすぐ、自分の攻撃を当てる間合いに入ることできる距離、を保つ技術が必要となるのです、並走スライド変則撤退戦護衛術の間合いの創出スキルが高度なので、上級者限定のテクニックとなるのです。
敵はいつ突出してくるか分かりません。突出と離脱に対し、自分は「敵の攻撃は当たらないが、自分はすぐに自分の攻撃を当てることできる間合いに入ることができる位置」を維持するのです。
移動遊撃戦であれば、とにかく距離をとればいい。危なくなったら、距離をとる。移動遊撃戦の練習の中で、翻身旋理の技術磨き、ミクロスライドにつなげるのです。敵の猛然とした攻撃に対し、ミクロスライドである程度避けることができるようになれば、掌継人として認めていい、と判断されます。
八卦掌水式館 館長・転掌八卦門 開祖 水野義人のプロフィール

水野義人(活動名:水野式人)
八卦掌水式館館長。八卦掌第6世。楊家伝転掌第8世掌継人。転掌八卦門開祖。弱者生存の理「単換掌の術理」を用い移動遊撃戦で戦うことを特色とする、清朝末期頃成立当時のままの八卦掌原型武術「転掌」を、世界で唯一公に伝える、転掌グランド・マスター。
転掌八卦門の開祖である館長の、転掌マスター養成ブログ更新中。転掌・八卦掌修行者のみならず、すべての武術において達人となることを夢みる方に有益な、館長の語録を随時更新中。
「転掌マスターへの道~転掌八卦門開祖・水野の達人養成ブログ」へ








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